冤罪 その二
娘は小学二年生だった。仲良しだと思っていた同級生のB子から盗人扱いをされて、学校に行きたくないと言い出した。
おたがいの家に行き来して、おたがいの部屋の中にまで出入りする仲良しだった。
そんな日常の中で、誕生日のプレゼントに男の子から青色のすてきなペンを貰った。そのペンは大切に机上のペン立てに置いていた。或る日ペンがないと気づいて探したが、見当らなくて気になっていた。
後日何時ものようにB子の部屋で遊んでいるとB子の机上に貰ったペンと同じデザインの青色のペンがあった。
娘は思わず(このペンどこのお店で買ったの? 値段は?)と矢継ぎ早に質問した。
するとB子は、あわてふためき何も答えられなかった。
そして、娘は後にこの不用意な質問が、取り返しのつかない事態を引き起こす発端となることなど知るよしもなかった。
しばらくして、娘がB子の部屋に遊びに行っては度々何かとものを盗んでいく、とクラスにうわさが広がっていた。
不審に思ったクラスメートの一人が伝えてくれるまで娘は知らなかった。
驚いた娘は、すぐにB子に確認した。
(B子のどんなものを盗んだのか)と詰問した。が、B子はうつ向いたまま黙っているばかり……。
もう、どうにもならない!
クラスメートたちに、この真実を伝える方法もなくて娘は泣き寝入りした。
娘はこの状況に陥れられて、やっとB子の策略に気づいた。
B子は自分の行為を娘に気づかれたと察知して、娘の先手を打って、娘と自分を入れ替える策を巡らした話をでっち上げられたと気づいた。
小学二年生の娘と私は、思いも寄らない卑劣で陰湿なB子の狡猾さに呆気にとられてしまった。
この時点で、娘を守るのは当然の務めであり、娘の無実を証明する手段を探した。
しかし、B子の家族に複数名の前科者がいたので、その悲惨な状況にたじろぎ動けない。
家族の闇を知らないB子が哀れで、この一件の追及をためらってしまった。
さらに、この時にB子のウソを証明できたなら被害者の娘の立場は逆転する。そう、立場が逆転すると、B子が被害者となる。
加害者が被害者になり得る!
この理不尽さよ!
両者がからみ合うと抜き差しならない、あざなえる縄の如しにねじれた。
こうして私は身動きが取れなくなって、B子の虚言を証明するチャンスを逸した。
追い討ちをかけるように、悲しいかなB子がでっち上げて落した一滴のウソの毒液の波紋は、すでにクラスに広がってしまっていたので、この毒液に侵されて、根拠なきいじめを受け続けた。
娘は小学二年生時から始まって、小学六年生まで毎日が辛くて、どこで死のうかと考えながら通学路を歩いていた、と三十年も経ってから語った。
娘の冤罪を晴らせなかった無能を恥じた。
私は保護者失格者であった。
ごめんね、腑甲斐ない親を許しておくれ。
娘よ、生きていてくれてありがとう!
辛かったね!
がんばったね!
遅かったね!
遅すぎてごめんなさい。
もうどんなに詫びても届かない。
娘はもう、小学二年生には戻れない。
冤罪で盗人の刻印を押された人は、以後、ことごとく、この冤罪符を背負って不当な波状攻撃に曝されて、人格を無視されて生きることになる。心を真っ二つに割られて、心までも盗まれた! 加害者は冤罪者の心を盗んだ大泥棒。この代償は計り知れない。
でっち上げたウソの代償は罪が深い。