七月七日
私のからだもかなり健康になりました。四日前から食堂の掃除の手伝いをさせてもらっています。
食堂の広さは十坪くらい、白い壁には12枚の聖人の御絵がかかり、中央の壁に大きなキリスト様が傷ついた掌をこちらに向けてじっと私達に目をそそいでおいでです。
御絵の裾に書き込まれた“VENiTE ON MES”は“我に来たれ”と云う意味です。深いまなざし、栗色の髪は美しく波打って、私は時々神様の一番大切な条件は“美しい事”ではないかしらと まじめに考えてしまう程です。樫の木の細長いテーブルに樫の木のイスが十一。
九つは生徒達のもの、窓をしょった一つは教科指導の加藤先生、シンガリは生徒係りのマルガリータ様。
さて、ここで本論に入るわけなんですがつまり、近頃の私は元気になったので食欲が盛んになったので“食前の祈り”が一段とつらく思えるようになってきました。
この祈りがまた実に実に長いんです。
合せた掌をそっと弯曲させて一種ののぞき目がねにしてテーブルの上をのぞくと…おお 豆のスープの湯気が…ドイツ風焼きジャガイモのこげたバタァの湯気が…。やっと祈りが済んでフォークを握りしめると今度はマルガリータ様が食事の間ずうっと聖人伝を朗読して下さいます。
生徒達はうつむいて音もなくイモをかみマメをのみ下し、…私は草をかみつづけるヤギのような表情になります。
宗教にギモンを持った子が 食欲をも合せ持った時の不幸せな状況です。
今は夜、夏の夜空です。星がひたいにかかる程近く輝いています。とても精巧な、チカッチカッと切れ味のするどい星座です。
その精巧なまたたきで時計のセコンドを連想しました。
柱時計はキッコン カッコン
南京虫はチ・チ・チ・チ・チ
金のくさりも あちらこちらに揺れ かがやいています。
私は下手っぴいな貼絵をして
「星の音」と題をつけました。
目覚まし時計はリッチンギッチン