自分はいいことをして気持ちよくなっていても、実は相手が悲鳴を上げているというようなセクハラコミュニケーションを取っている方は本当にたくさんいます。なかなか自分では気づかない観点の1つなので、少し心を鬼にして「もしかしたら自分もやっているかも?」と心当たりを想像しながら読んでみてください。

セクハラ状態をある例でお伝えします。例えば、皆さんが僕と仲良くなりたいと思ってくれたとします。 そこで、先に”Giveをして”僕との信頼を構築することを考えます。あなたが考え出した案は僕にプレゼントを渡すこと。「贈り物をすれば、きっと空さんは喜んでくれて、お近づきになれる!」と判断しました。

何をプレゼントしようかと悩んでいるあなたは、自分が食べ物の中で一番好きなピーマンを僕にプレゼントしようと思いつきます。 日本で一番美味しいピーマンの産地はどこかを一生懸命探し、そしてその日本一美味しいピーマンを購入しました。 そこにリボンをつけて、僕の家に送ります。

僕が喜んでくれると思い、あなたの気持ちはルンルンです。そして翌日に僕はそのピーマンを受け取りました。しかし、僕はピーマンが大の苦手で食べられません。でも、せっかく貰ったものだから、食べないといけないと思い、勇気を出して口にピーマンを運びます。

1口食べた感想は、「苦い……(泣)」結局僕はそのピーマンを食べることができず、かといって捨てるわけにもいかず、行き場をなくして困ってしまいました。今の事例では、「プレゼントを渡した人に感謝をしろ」とか、「食べ物の好き嫌いをするな」というのは一旦置いてください。

ここで何が言いたいのかというと、自分が良かれと思ったものでも、相手からすれば迷惑なプレゼントや行動が事実あるということなのです。皆さんも一度はありませんか。何か嫌なことがあって、1人にして欲しい時に友達や親から声をかけられて、「今は話しかけないで欲しい!」と思ったこと。

これも、友達や親はあなたのことを思って話しかけたという善の行動をしただけ。だけど今は1人にして欲しいというあなたの感情とミスマッチが起きてしまい、喧嘩になるという最悪な状況です。

改めてコミュニケーションにおいて大切なことは、一人一人”求めているもの”があり、一人一人何を与えたら喜ぶのかは”違う”ということです。決して自分がされて嬉しいから相手も嬉しいとは限らないということを、ここでしっかりと覚えて欲しいのです。