寝たり覚めたりの夢現つの中で、ブエノスアイレスと日本を行き来した。ブエノスアイレスの景色はインターネットや旅行雑誌の写真で見たカミニートの色とりどりの建物だったり、世界三大劇場の一つと言われるテアトロコロンだったりした。カミニートの建物の中に母の住んでいたアパートがあり、その前だけ桜の花が満開に咲いていた。
私は、
「そうだ、お母さんにアルゼンチンに行くことを伝えていなかった、ちょうどよかった」
と母にブエノスアイレスに行くことを伝えに行く。母が、今ごろ何言ってるの、もうとうに知ってたわよと大笑いして、私を外に追い出すと、そこはテアトロコロンの天井桟敷で、暗い劇場の中で何かしらオペラが上演されているようだった。私はオペラなんてよくわからないから、人をかき分けて外に出て大理石の階段を降りる。後ろからフリオの声がする。
「お芝居の途中で外に出たらダメです」
私はフリオの声を振り切って外に出る。ヨーロッパの街並みを思わせる建物が並んだ大きな通りには、ハカランダが咲き誇っていて舗道は紫色に埋れていた。脇道を抜けると私のアパートがそこにあって、私は安心して自分のうちのドアを開ける。けれど、ドアを開けて自分の部屋に入った途端に、ブエノスアイレスにいるはずなのになんで日本にいるのだろう、こんなはずじゃないと髪振り乱して玄関に戻ってドアを開けると飛行機の中だった。
隣を見ると、アイマスクをしてぐっすり眠っている。旅慣れている人なのだろうと羨ましく思う。私はブックライトをつけて、ガイドブックを開いた。自分が泊まるホテルの場所を確認した。何度も繰り返してきた行為だから、地図の中のどこにホテルがあるのかはもう十分にわかっている。ネットで検索して部屋の写真もロビーの写真も見た。でも、そこでしばらく滞在することになるという実感はまだない。雲を摑むようという言葉がぴったり当てはまると思った。
アトランタでのトランジットでは、アルゼンチン行きの飛行機の出るターミナルまで電車に乗ったり、エスカレーターを登ったり降りたりして、移動しなければならなかった。なんとか出発ターミナルにたどり着いたところで、なじみのあるスタバの緑色の看板が私を誘った。スタバで店の人が当たり前に英語で話しかけてくるのにちょっとビビったけれど、指さしで何とかなるというのを、日本のスタバで外国人がやっているのを見たことがあったから、同じようにしたらそれで十分だった。米ドル紙幣を出したときに、日本ではないということを強く感じた。