どういうこと? 表札の名前を、穴が開くほど見続ける。どれだけ経ったのか、目の前が暗くなってきた。そういえば担当エリアが変わるかもって言ってた。引越しするくらい遠くに? 視界の全てが赤黒く変わり、しゃがみこんだ。目が開いているのか閉じているのかもわからない。上下もわからない、倒れそうな体を両膝と両手で支えた。

心臓のあたりをのたうち回っている得体の知れないモノが心にやいばを突き立てる。真実は切り裂く。事実は心臓をえぐり出す。誰にも聞こえないうめきをあげる。誰も聴かない叫び声をあげる。胸に何かが刺さった。幾つも。深く。その深いところから毒が全身に噴出する。脳みそにも。アタシ一人じゃ絶対無理。産婦人科に、もう一度行くしかない。

アタシはヒトゴロシになるの? ちがうよ。アタシは、ヒトゴロシになるの? ちがうよ、絶対にちがうよ。産婦人科に行って、育てられない、って言えばいいの? そうすれば、アタシは働いて、人生を続けられるはず? アタシは一生、笑わなくなるよ。どんな苦しみでも一瞬で消してくれたこーちゃんは今、どこにいる? 

しばらくして視界が徐々に戻ってきた。ゆっくりと、もう一度、表札を確かめる。絶望的な、知らない名前の上に俊敏な何かが飛んで来た。ツバメだ。巣がある。巣の中で三つの可愛らしいくちばしが親ツバメに向かって一生懸命、パクパクと生きる糧を求めている。親ツバメは与え終わると目にもとまらぬ速さで再びエサを取りに去った。巣にいる子どもツバメたちはふわふわで、もぞもぞと動いている。生きてる。

そうだ、こーちゃんの会社に電話をかけて聞いてみよう。ない勇気を振り絞って電話をかけた。出た男性の声は明らかに年配で、ナオミに所属を聞く。言葉遣いが全然、違う。どこの誰なのかを言わなきゃいけないの? 何て言えばいい? 頭の中が真っ白になり、数秒沈黙し、電話を切った。

探そうと、次に警察に相談した。目の前の男性警察官は好奇心を露わにしたりはしない。しかし必要なことは尋ねる。

「そのお子さんの父親であることを証明する書類は?」

絶望的な必要書類。

「ないです」

アタシ一人で育てるなんて無理。こーちゃんを探さなきゃ。興信所は探せるでしょうと回答したが費用を聞いて諦めるしかなかった。一円でさえ惜しい事態になった。会社を辞め、寮を出て行かなければならない。アタシが一人親になるわけ? ウソだ。猛烈な震えが背骨から地面へ走り抜ける。

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