勘違いの優しさと話が聞き取れない時

アリコさんは、UDって障害者に親切にする事とは違うんだね、自分も海外に行けば聞き取れない人になってしまうから、自分の事でもあると、言葉を変えながら何度も言います。嬉しいですね。そんなアリコさんですが、どうもいい人過ぎて、心配や親切心が過剰なのではと思う時があるので、この回では「勘違いの優しさ」というお話をさせてもらいました。

以前、視覚障害がある複数の方をご案内した話をした時に、「子どもたちの電車ごっこみたいに、綱を持って迷子にならへんようにしたらどう?」というアイデアを出してくれました。

確かにこれで安全は守れるかもしれませんが、立派な大人に幼稚園児のような真似はさせられません。多少安全を蔑ろにしても、人としての尊厳の方が大切で心配し過ぎは禁物です。

また以前、アリコさんが何度も聞き返したら失礼だから、聞こえたふりをしたという話をした時がありました。私は、相手の方からすれば、聞こえたふりをされるよりも、もう一度聞きたいと言われるほうが嬉しいのではないかと言いました。

言語障害がある方の話は、聞き取りにくい事がよくあります。何度も聞き返すと失礼ではないかと思いがちですが、正しく理解しようとする姿勢の方がきっと喜ばれます。もし話の内容が重要ではなく、単なるダジャレのような場合は、きっとお相手がどうでもいいからと言ってくれるでしょう。反対にわかってほしい事ならば、一所懸命に何度でも話してくれるはずです。それはお相手に任せればよい事です。

アリコさんは、「障害がある人に対して、私たちがどこまで立ち入って良いのかその加減がわからへんけど、相手の人が判断してくれると思えば気が楽になるね。特別扱いやのうて、他の人と一緒やと思う事ができたらええな」と言いました。

以前、車いすの友人が、靴ひもが結べない時に、やってあげると言って靴ひもを結んでくれた人がいたけれど、本当は15分かかっても自分でやりたかったと言いました。

私たちは日々忙しくて、しゃべる言葉も行動も早い事が良い事のように考えてしまいがちですが、「お手伝い」というのは時として、自分のペースを相手に押し付ける行動になっているのかもしれません。お手伝いするよりも喜ばれるのは、相手の時間に寄り添う事かもしれませんね。