ここで多門はひと呼吸置いて「すかす、左沢さんはうんと鋭いですな」、と目を瞬かせながら苦笑いした。
「自殺の反証のひとつになりませんか」
左沢は、遠くを見やるようにして言った。専門外のことだが、心中と結論づけるのは性急すぎると思えるのだ。
「反証にはなりませんが、別の仮定を可能にします。その可能な仮定を追い出すには、それなりの証拠が必要になるということですよ。ですから、まだ断定はできません」
多門はキッと真顔になって福島弁を抑えて言った。もちろん、彼が言う別の仮定とは、周平たちが第三者によって谷底に突き落とされたということだ。これを否定できる証拠が得られるまで捜査は継続すると言っている。
「ふたりの遺体は、今どうなっているのですか」
「周平さんは今週の月曜日に親類の方さ引き渡しました。もう荼毘に付されて納骨まで終わっているはずです。滝山みどりさんは、お母さんが入院中で、退院するまで待ってくれとのことですので、まだ本署に安置しています」
遠くから人の歓声が木霊とともに聞こえてきた。不動沢橋からのようだ。
多門は、はっと思いついたような顔をして、不動沢橋に行ってみましょうと言って、展望台の出口に足早に歩いていった。
左沢は多門と並んで不動沢橋の中央に立った。下を覗くと、鉈を打ち込んだように鋭く切れ込んだ谷底が見えた。その深さに思わず後ずさりする左沢に、谷底まで八十メートル以上ありますと、多門が笑って言った。前方下にさきほどまでいた展望台が見えた。
ここからだと、展望台が古い橋の橋台を再利用したものだと容易に察しがつく。旧不動沢橋と今の不動沢橋とではスケールと工法がまったく異なるようで、展望台からは谷底まで二十メートルぐらいしかなさそうだ。
「こっからだと谷底がよく見えるでしょう」
多門が指で差しながら言った。展望台では両岸から張り出した木々が邪魔をして見えなかった谷底が、岩の一つひとつまではっきり確認できた。
「キャッ、死なないでください」
「やめろ、やめろ、危なかやないか」
突然の騒ぎに振り向くと、観光客らしいふたりの若い男がじゃれあっていた。同じグループとおぼしき人たちが口を開けて笑っている。言葉のなまりから、九州からの観光客のようだ。
「自殺の名所だと仰っていましたが、現場は不動沢橋と展望台のどちらが多いのですか」
「また左沢さんは鋭いことさ訊きますね。十年前さこの新しい橋ができてからは、すべての投身自殺はこの橋から決行さされています。ですから今度の事件には、この点からも多少の戸惑いさ感じているんですよ」
多門は出しかけたたばこを、またポケットに戻しながら言った。現場に着いてから、多門が心中に疑問を膨らませていることが、左沢にもはっきり看てとれた。死を決心した者が、天に架かるような大きく近代的な橋より、古ぼけた小さな展望台を、その場所に選ぶのは不自然なのだ。