六月二十八日(横浜市港北区)

栞の就寝は午後九時と決まっている。何事にも几帳面な真子が定めたルールだ。妻が寝室で娘を寝かしつけている間、私はリビングでノートパソコンを開き、会社のメールをチェックする。

海外との取引が多いので、この時間でもメールは容赦なく飛び交っている。時差に関係なく、メールは即レスが基本だ。待たされている側が感じる時間は、待たせている側が思っているよりもずっと長い。レスポンスの速さとフットワークの軽さが、顧客との信頼関係を構築する第一歩だ。

我が社の業界での地位は今でこそ中の上か上の下といったところだが、ここ数年は好景気の波にうまく乗って、途上国での事業を中心に着実に存在感を高めてきている。売上、純利益ともに過去最高を更新し続けており、この調子でいけば、数年のうちに業界シェアのトップ三に喰い込むことも夢ではない。

私自身は、昨年マネージャーへ昇格し、初めて部下を持つ立場になった。三十代での管理職昇進は、同期の中でもかなり早い方だ。チームマネジメントの一年目は試行錯誤の繰り返しだった。私は管理職研修で受けた講師の指導を忠実に守ってスタッフと地道な面談を繰り返し、彼らの要望にできるだけ耳を傾けた。

そして、職場環境の改善を図るだけでなく、ポケットマネーで宴会やグループランチなどを催してガス抜きの機会を積極的に提供してきた。そうすることで、ようやくチームとして一つにまとまってきた手ごたえを感じ始めたところだ。

仕事は一人でできるものではない。組織はチームプレイの集合体であり、上下関係や部署間の垣根を越えた仲間との連携が欠かせない。報告、連絡、相談。いわゆるホウレンソウ。これは仕事における基本中の基本だけれども、基本であるからこそ、情報の共有にかける手間と時間を惜しんではならない。コミュニケーションの頻度と精度は、仕事の質に直結する。

もちろん、どんなに親しくなったとしても、我々の関係はビジネスに限定されたものであり、一線を越えてはならない。このご時世、セクハラやパワハラはご法度だ。こういったハラスメントで「刺される」と、社内でのキャリアは一瞬にして無に帰する。将来を嘱望されながら、公私を混同したためにスキャンダルで自滅していった同僚は決して少なくない。

社会が規定する倫理コードは日々刻々と変化する。その境界線を慎重に見極め、相手の性格や志向、そして私への信頼の度合いを注意深く探りつつ、一歩一歩部下との距離を縮めてゆくのがマネージャーの務めだ。