プロローグ
哲也が教師になろうと決めたのは、小学校高学年の時だ。
小学校4年生頃までの哲也は、学校で一切口をきかない子供だった。家では普通に話すのに、学校に行くと友達とも先生とも全く話さない。学校で嫌なことがあるのだろうか、話さないことで仲間外れやイジメにつながらないかと私はとても心配した。言語能力は正常なのに特定の場面では話すことができない『場面緘黙症』という病気があると聞き、小児精神科の受診を考えたこともある。
その哲也が変わったのが5年生の時だった。土田先生という若い男の先生が担任になって、それまでの哲也とは別人のように変わったのだ。
土田先生は大学を出たばかりで、担任のクラスを持つのもまだ2度目だったらしい。だが子ども一人ひとりのことを本当によく見てくれて、話をしない哲也にも毎日少しずつ声をかけてくれたという。最初は「おはよう」「さようなら」の挨拶から。次に「今日は天気がいいね」「校庭のチューリップが咲いたね」と、無理強いはしないが辛抱強く哲也に語りかけてくれたのが土田先生だった。
そして哲也は学校でも少しずつ言葉が出るようになった。授業中は積極的に発言し、休み時間には友達とよく話すようになった。さらに5年生の秋には児童会副会長にも立候補して当選した。校庭で全校生徒の前で演説をすると聞いて、私は物陰からこっそり見に行ったこともある。6年生には児童会長にもなったのだった。
哲也は土田先生によって自分が変わることを体験した。土田先生に憧れ、心から信頼していた。そしてその憧れと信頼が目標に変わり、「僕もこんな先生になりたい」と、教師の仕事を目指したのだった。
教師になってからも哲也は土田先生になにかと相談していたようだった。
ネットのニュースを見た土田先生は驚いて哲也の携帯に何度も電話したらしいが、当然つながらない。そこで私に連絡をくださった。
「誰が何と言おうとも、僕は哲也君を信じていますからね!」
土田先生の力強い声が胸に響いた。
「もしや哲也は魔が差したのだろうか」と半信半疑になったことが全くなかったわけではない。しかし、一貫して否認する息子を信じてやれるのは、私しかいないと思った。
保護者が学校に怒鳴り込んできた時、保護者の話は長時間聞き、息子の話は30分。学校側は完全に保護者の味方であった。校長が最初に何か別の対応をしてくれれば、事態は違っていたのではないだろうか。
校長から息子への聞き取りは、「やったんだろう? 早く正直に言いなさい」と圧力的なものだったらしい。