事故があって、私の境遇もものの見え方も、随分と変わってしまったけれど、考えてみたらそれは別荘や沼のある場所とは、何の関係もない。
あの吾亦紅の咲いていた、蕨のある所に、もう最後になるかも知れない、あの場所に行きたかった。一年前は結局、行けなかったのだから。
村上夫妻と私の三人で別荘を訪れた日の翌日。
その日、玲子さんが
「家財は古いものばかりだから、全て処分してもらうことにしたし、捨てられないものは持って帰ることにしたし、蕨取りに行きたいわね。もう何年も行っていないもの。他所へ行っても蕨なんてあるかどうか。思い出が沢山ある所だけれど、明日此所を発ったら、もう二度と来ない所だと思うから、お別れもしてきましょうよ」。
其の沼のある場所は、今まで訪れた時と何も変わらず、静かに風が草木を揺らして迎えてくれたのでした。
昔と同じように三人で蕨と芹を採って帰り、灰汁抜きをした蕨と鰹節、芹は玲子さんが油揚げと共に炒めたもので、別れの酒盛り。
暫くして、嘔気がして嘔吐、腹痛を覚えた刹那、私は自分が死ぬのだと解りました。
そして、あの日のことを想いました。