朝になり、リビングに降りると母は昨日のことなど何もなかったかのように私に、
「おはよう」
と言った。私も普段通り、
「おはよー」
と返す。朝ごはんを終え、塾に行く準備をしに部屋へ戻ろうとしたところ、
「りん」
と呼び止められた。
母は私の目をじっと見つめ、でもそれはいつもの重圧の目ではなく、私の心の中にスーっと溶け込んでくるような目で、
「夢とかあるの?」
と聞いた。
私はドキッとして、
「えっ?」
と言ってから頭の中はグルグル回っていた。今が画家になりたいって伝えるチャンスだ。でもそれを伝えたらお母さんガッカリするかな。昨日家出したこともあるし気まずくて言いづらいな。
いつものように頭がゴチャゴチャして、また、
「分からん」
と言いそうになった。でも今のお母さんはいつものお母さんとは違って見えた。今なら言えそう……。そう思ったと同時になぜか昨日のジュースの味を思い出した。
私はひと呼吸おいて、
「うん」
とだけ答えた。
しばらくしてお母さんは、
「そう」
と言って、とても優しい顔をしていた。
「りんはりんの人生なんだから、何したっていいんよ。お母さんもね、本当は看護師になりたかった。だから、『まるや』のことは何も考えんでいいから」
と呟いた。
私は驚いた。誰がどう見ても母は一端の和菓子職人で、この道一筋で生きてきたと思っていた。そんな母に別の夢があったとは。
「私は正直にこれをおばあちゃんに言えなくて苦しかった。私とりんは似たところがあるから、もしかしたらりんも心に秘めている夢があるんじゃないかなって」
最後に、
「お母さんの夢のこと、正直に誰かに話したの、りんが初めてよ」
と照れくさそうに笑った。
「私、画家になりたいの」
何のブレーキもかからず、するりと口から出てきた。
「だから美大に行きたい」
これもするりするりと出てきた。
母は
「おっけい、分かった。やっと素直に言ってくれたわね」
とあっさりOKを出してくれた。なんだ、こんなことならもっと早く素直に言っておけばよかった、と私は少し拍子抜けだったが心はスッキリと晴天だった。