作家 Marcel Arland 

マルセル・アルラン 1899.7.5 ヴァレンヌ=シュール=アマンス─1986.1.12 サン=サヴール=シュル=エコール

 

マリーは「新フランス評論(NRF)」の友人の一人であったマルセル・アルランが1944年ル・パヴォワ社から出版した『アンタレス』のための挿絵をエッチングで5点作成しましたが、1943年頃に彼の家族、妻のジャニーヌ、娘のドミニックそしてマルセルの肖像画を油彩で描いています。

マルセル・アルランはヴァレンヌ=シュール=アマンスで生まれますが、3歳の時に父親を癌で亡くします。未亡人として悲嘆に暮れた母親との関係は諍いが絶えず、彼は週に2回は墓地に行き、冷たい父親の墓石に触れながら、顔も覚えていない父親に想いを馳せます。こうした経験が彼に自分は「孤児」であるとの自覚を植え付け、彼の後の作品に大きな影響を与えます。

ソルボンヌ大学で学び、アンドレ・マルローと知り合い、NRFから1923年処女作『異国の地』を発表、1929年『秩序』でゴンクール賞を受けます。1953年からは同じくマリーの友人であるジャン・ポーランとNRF誌の編集長を務め、ノーベル賞作家となるJ.M.G.ル・クレジオなどの若い作家を世に送り出します。

1977年にはアカデミー・フランセーズの会員に選出されます。マリーが描いた彼の肖像画には、まだ眼鏡が書き込まれていなくて未完成のように思われますが、彼の妻や娘の肖像画に比べるとやはり男性の肖像画にはまだ躊躇があったのかも知れません。