僕の頭の中は錯乱していた。(主人が死んだ)ということは、妻の頭の中にはいまの僕はいない。もちろん妻の記憶の中にも僕はいない。

僕は一人っ子で両親もとっくに亡くなっている。妻の両親も亡くなり、妻の姉はアメリカにいる。妻の頭の中にも記憶の中にも僕がいないということは僕はどこにもいないことになる。

待合室に行き、コーヒーを飲みながら落ち着こうとしたが、(妻が言っているのはどういうことなのか)(僕の存在は妻にとってなんだったのか)(出っ歯の男って誰なのか)(今後妻の看病をどうするのか)(いままでの35年間の結婚生活はなんだったのか)と次々に疑問が浮かんできた。

いや、いままで妻とは大した喧嘩もせず仲よく暮らしてきた。妻の友人たちからも「優しくていいご主人ね」と言われると、妻も満更でない笑顔を浮かべていた。

小説とか映画の記憶が妻の記憶の中に紛れ込み、それを実体験と勘違いしているのかもしれない。きっとそうだろう。結婚生活では愛し合ってきた。

人生、生きている間は順風満帆ではなく、いろんなことが誰にでもある。

僕が大病して入院したときも妻は丁寧に看病してくれた。愛情がなければあんなに甲斐甲斐しく看病はできないだろう。二人でよく旅行にも行ったが、妻は少女のようにいきいきとはしゃいでいた。妻の喜ぶ姿が好きで二人での旅行は僕を癒してくれた。

温泉に行くと妻は僕の体を洗ってくれ、髪もシャンプーしてくれた。風呂上りにはバスタオルで体全体を拭いてくれ、ドライヤーで頭を乾かしてくれた。パンツも履かせてくれ、浴衣も着せてくれた。

きっとまだら認知症だからなにかの拍子に正常になるかもしれない。とは言え、もしもあのままだったら僕はどうすればいいのだろう、まだ20年は生きるだろうが、その間をどうやって生きていけばいいのだろう。

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