誰も見たことがないドラマティックな映像を求めて
「海底地図を作る」という番組の編集が終わりカメラマンを交えて海中シーンを含んだ番組の試写をしていた時「ストップ、ストップ」と声がかかり「このカットの位置は違うから編集をやり直してコメントも変えて……」とカメラマンからクレームが出た。「いやこの場合はこれで好いんだよ」と返事をしかけて、ちょっと待てよと思った。
「安間さんは撮影現場にいなかったのに何で分かるの?」と聞き返されたら反論しようのない事に気が付き、気まずい空気になって試写を中止したことがあった。ディレクターの役割は「番組の映像の全てに責任を持つ」が私の信念であったのに、海の中の撮影ではそうはいかなかった。
私にとって、この事件がきっかけになって東京労働局が発行する潜水士の免許の取得を上司に申し出た。この免許がないとNHKは企業として水中作業の指令が出来ないからである。NHKでの潜水士講習は数名のベテラン・カメラマンが指導者になり、伊豆大島などで若手カメラマンの合宿講習を実施していた。しかしディレクターの生徒は私が初めてである。
潜水講習は、肺活量が人一倍少ない私には、かなり厳しいものであった。プールに潜ったまま端から端まで泳ぎ切れとか、腰まわりに鉛のくさりを巻いたまま深い井戸に投げ入れられると、「ディレクターに撮影現場を見られるのがいやで、その腹いせか」などと邪推したくなったが、海の中の撮影がいかに難しいかをディレクターにも知って欲しいという希望が、カメラマンたちの本音であることもすぐに分かった。
苦労して取得した免許を仕事に使うことは海外取材番組「巨大科学」で米海軍の飽和潜水技術の紹介シーンを含めても数回しかなかった。しかし、あの死ぬ想いで習得した潜水技術のおかげで近年毎年サイパンやテニアンに行き、夫婦でダイビングを楽しんでいる。今年は新型コロナで途切れたが、最後の潜水はサイパン島沖で夫婦合わせての年齢が160歳と5ヶ月であった。毎年の高齢夫婦ダイビングの新記録への夢が消えたのが残念無念である。
その他にも地下深くで、起きる炭塵爆発を地上で科学的に再現した「坑道と爆炎」など「初めて見る+ドラマティックな映像」という「成功の秘訣」に沿って制作した番組は皆好評を得た。「あすをひらく」の放送日の朝刊には写真入りで番組の紹介記事がよく載るようになった。なかでも先見性のあるテーマになると従来のドキュメンタリー番組以上に評価されるようになったし、撮影部から質の悪いカメラを押しつけられる事もなくなった。