晴天の霹靂
平成25年6月10日
「ビビッ、ビビッ、ビビッ、」
7時に合わせた一つ目の目覚ましが鳴った。梅澤は、いつものように布団を頭からかぶった。これが悲劇の幕開けの合図とは思いもしなかった。
「リリリーン、リリリーン、リリリーン」
5分後、二つの目の目覚ましがけたたましく鳴った。梅澤は、いつものように目覚ましを止めようと時計に手を伸ばした。
「ビシ!」。
腰に激痛を感じて、瞬時に瞼が開いた。煤けた天井の木目と目があった。何が起こったのか理解しようと、おぼろげに昨日の行動を思い返した。
数年間必死に取り組んできた「IgG4関連疾患」の研究が高く評価され、リウマチ学会賞を受賞した。授与式に出席するために、飛行機で東京まで日帰り往復した。緊張してたせいか不覚にも帰りの機内では不自然な姿勢で眠り込んだ……。ギックリ腰か?
今日は月曜日で教授回診の日である。9時には医局に到着しなければならない。梅澤は恐る恐る体を起こしてみた。
「ビシ! ビシ!」
背中の痛みが稲妻のように一直線に脳に達した。
「うっ!」
思わず悲鳴が口から漏れた。
十年前にやった時は起き上がる事ができず、急遽外来を休んだ。横向けになりながら、なんとか布団の上に身体を起き上がらせる事ができた。姿勢を変えるたびに腰骨が悲鳴を上げた。それでも、なんとか立つことができた。
ようやく身支度を終え、8時過ぎには玄関をでた。腰に手を添えて一歩ずつ確かめるように歩いた。教授室まで普段なら5分もかからない距離である。建物の壁に寄りかかりながら、一歩ずつ歩いた。何とか大学にたどり着いた。
学生たちが心配そうに眺めて行く。教授室の机の上には決済の書類の束が積まれていた。週明けに毎回目にする光景である。上から順に目を通して印鑑を押し、それを処理ケースに入れていく。あとは秘書がやってくれる。
壁かけ時計を見上げると9時5分前であった。2部屋隣の医局まで10秒もかからないが、少し早めに席に着こうとゆっくりドアに向かった。ドアノブに手が触れると同時に外側からドアが開いた。驚いた梅澤の目の前に、スポーツジャケットを着た大柄の男がいた。鋭い眼が梅澤を見つめていた。男の向こう側にも、同じようなジャケットを着た男が数人いるのが目に入った。
普通なら、教授室を訪れる人間は、事前に秘書を通してアポイントを取る。緊急の場合でも、ノックくらいして名前と要件を言ってから入室する。ところが目の前の男は、約束もなく、ノックもせずに入ろうとしている。
「今から回診がありますので」
梅澤は無視して男の脇を通りぬけようとした。ところが、目の前の男は、身体を動かして行く手を阻んだ。
「先生、中に入って下さい」
「今から回診なんですよ」
医局で医師と病棟婦長、担当薬剤師、研修医、それに、臨床実習で血液免疫内科を回ってきている6人の学生が、教授回診の開始を今か今かと待っているはずである。梅澤は、少し腹立たしく思った。しかし、目の前のいかつい男は全く意にも介さずに、
「いいから、中に入って下さい!」
と高飛車に命令した。鋭い目つきで梅澤を睨みつけている。教授室を訪れる者の目つきではない。
梅澤は、目の前の男の気迫と只ならぬ気配を感じ、一、二歩あとずさった。
「グキ!」
再び腰骨が悲鳴をあげた。先頭の男が、教授室に入ってきた。大学病院で最も重要な仕事である教授回診があると訴えているのに、一方的に入り込んできた。この男たちは、一体、何者なんだ。