「そういえば、苦労した話って、聞いてておもしろいけど、お金持ちの話なんて、聞いても楽しくないものね」
「獅子谷家の家訓に、『苦労話は花の蜜』ってのがあるんだよ。人の不幸は蜜の味なんていう言葉もあるけど、それくらい、苦労話は人を引きつけるんだよ。それと同時に自分の力も付いてくる。また、苦労を語れるってことは、それを乗り越えたっていうことだから、それが人の信頼を得ることにもなる。何より、話題にすることで会話が上手ってことになるから、人間の魅力になる」
「いいことばかりみたいね」
「何か、どっかのテレビショッピングみたいになっちゃったな。とにかく、子供たちには、お金のために働くようにしなくてもいい、金持ちを目指さなくてもいいけど、苦労した経験は積ませたいな。
そのためにも、我々がちゃんとしてなきゃ。我々が頑張って働いて、でも誰にも頼らない、誰からも馬鹿にされない、ちゃんと頑張ってるところを見せれば、子供たちも頑張ろうって気になってくれると思うんだ」
「そうね、私も、頑張ってるけど、分かってくれるかな」
「大丈夫、頭のいい子たちだから」
「明日は、アメリカから取引に来る相手と会わなきゃならない。大きな商談になりそうなんだ」
「今から? 大変ね」
「『しょうだん』です」(そうなんです、というつもりらしい)
「はい、はい」
英介は「ちょっと出かけてくる」と言い、近くのマンションに行く。
そこには、ディスプレーがたくさん並んでいて、複数の会話を同時にしていた。これが毎晩、遅くまで続く。
母は、自宅でラップトップのパソコンを開き、メールで指示を出している。デザインの確認も、メールでしている。宅急便で届いた箱を開けると、ドレスが出てくる。それを壁に掛けてみている。VRのグラスを掛けるとそのドレスがいろいろと変化する。それを見ながらデザインをチェックするのである。