*特技を生かそう

・命の恩人

私がアフリカのガーナにて勤務中に日本大使館で会議中に余談として聞いたエピソードを紹介します。

日本で高校中退後、反社会的なグループに属していた青年が理由は不明ですが、アフリカのある地方の村に行ったときのこと、その村には救急車として使われていた古い日本製の車が一台あったそうです。

そしてその村の村長が、「その自動車が故障して長期間使えなくなっており、病人や怪我人が出たとき、治療のために、遠く離れた町の病院まで行けずに亡くなった子どももおり、大変困っているが何とかなりませんか」と彼に尋ねたそうです。

たまたま彼は日本で自動車修理工場に勤めた経験があったのでその車を調べたところ、彼にとっては簡単な修理で済むことがわかり、程なく自動車は動くようになりました。そのときの村長はじめ村人たちの喜びは大変大きく、特に村長さんは彼の手を取り涙を流して何度も何度も感謝の気持ちを表しました。

そのとき青年の内部にもある変化が起き、自分の人生を再度見直すこととしたそうです。

・柔道教室を主催

私は一九九五年からモルディブ共和国へ赴任していましたが、その翌年、アメリカのアトランタにてオリンピック夏季大会が開催されました。

私が主拠点としていた事務所では、日本人スタッフの娯楽のために直径約五メートル大型のパラボラアンテナを設置し、日本の海外向け衛星放送を受信していました。それによりオリンピック開催中はかなりの時間各競技の放映を見ることができました。

私の施工している建設工事と関係の深いモルディブ政府の建設、環境、通信、運輸の各大臣にそのことを伝えたところ、勤務時間終了後には連れ立って事務所に来られ、オリンピック番組を楽しんでおられました。

ある日から数日間、柔道の試合の放映が続きました。私は学生時代に柔道部に籍を置き、毎週六日間は練習していましたので、テレビに映る柔道の試合内容や技などの他、柔道の基本理念や精神を大臣たちに説明、解説していました。

ある日、放送終了後にモルディブのユースを主宰されている大臣から、「あなたも柔道の経験者なら、モルディブのユースに所属している若い男子に教えてほしい」と依頼されました。数日後、別の大臣からも同様の依頼を受け、この件は大統領も了解している、と言われました。

この依頼を受けて、日本へ帰国時に大学時代にお世話になった柔道師範にお目にかかり、このことを伝えたところ、「大いにやりなさい」と後押しされました。

私はモルディブへ戻ったのち、すぐにモルディブ日本人会に諮り、最終的に、畳は三十畳を日本から購入、輸入することとし、この費用は日本人会にて負担すること。柔道着は私が日本の中学生が授業で使用しているものを二十着寄付することにして、すぐに購入と輸送の手配をしました。

練習場所は日本政府の援助で完成したばかりの社会教育センター内の一角を借り、指導助手として、日本人会メンバーの中の柔道経験者数名にお願いし、毎週一、二回、日常業務終了後に開催することにしました。開催日初日には担当大臣の歓迎スピーチの他、現地のテレビ局まで来訪し、かなりの賑わいでした。

その後、私が街を歩いているとあちこちから親しく声をかけてもらえて、少しは両国間の友好に役立てたとの思いが生まれました。