【前回の記事を読む】イランでまさかの日本食!? 国境越え直前のつかの間のひと時
最悪の国境通過 イラン(メシェッド)→アフガニスタン(ヘラート)一九七四年二月一三日
そのうち、一人が向こうに止まっているミニバスが先に出るらしいと言うので、屋根に積んでいたリュックを降ろしてそちらに向かう。すると、バスの運転手があわてて、いやこちらのバスが先に出るから乗っていろと言う。どうもその通りで、当初の大きいバスの方が早く出るらしい。
結局一時間ほど待って、われわれの次の便のバスで来た連中を乗せてメシェッドを出発した。乗客が増えるのを待っていたのだ。これでは早朝にメシェッドを出発した意味がない。乗客は十五人ほどのリュックを背負った各国の若者貧乏旅行者で満席となった。
ようやくバスのエンジンがかかった。バスの乗務員がバス代を集めに来た。アフガニスタンのヘラートまで百リアル(三百六十円)だという。前の座席に座っていた二、三人が支払ったが、後ろに座っていた米国人が「百リアルは高すぎる。五十リアルにまけろ!」と大声で叫んだ。バス側は当然百リアルをまけない。しばらくやりとりがあったが、バス代は下がらないので、後部座席の米国人がみなでバスを降りようと言い出す。これは面白いことになったと思い、われわれもバスを降りる。
結局乗客二十人余りのうち、先に百リアルを支払った旅行者と現地人を除く十五、十六人がバスを降りたので、そのバスはまたメシェッドから来る乗客を待つために、イランの国境にもどった。バスを降りたわれわれ十五、十六人は一団となってはるか彼方に見えるアフガニスタンの国境を目指して歩く。両国の緩衝地帯を米国、イギリス、フランス、スウェーデン、イタリア、日本などの若者がリュックを背負って歩く。歩く。
歩いていると午後の太陽が暑い。バスを降りたのは間違いだったかなと、少し後悔の気持ちが出始めたころ、後ろからミニバスがやってきてわれわれのところで止まる。見ると先ほど百リアル支払ってバスに残っていた連中が乗っている。大型バスはメシェッドからの次の乗客を待っていたが来ないので、ミニバスに乗り換えたらしい。
運転手が百リアルで乗れという。われわれは再び歩きだす。しばらくするとまたミニバスが来て止まる。今度は八十リアルだという。こんなことを数回繰り返しているうちに、五十リアルになったので、全員乗った。やれやれ。