リハビリのスタート

【7日】 

上肢両肘挙上可

下肢両膝上可

足も両足動き出し、リハビリが開始された。理学療法士のAさんは若い美人だった。まだリハビリルームへは行けないので、ベッドの上でスポンジを握ったり、足を曲げたりという程度。スポンジはお皿を洗う時に使うあのスポンジだ。私の手は、それを握るのが精一杯だった。手足が動き始めたとはいえ、私の口には人工呼吸器がつながっていて、その管を外さないようにするのが大変だ。リハビリ自体は簡単なものだが、管を持っている人が必要で2人がかりだった。

リハビリの前に血圧を測り、血液中の酸素を測る。リハビリの途中でも痰で息ができなくなると中断して、機械で痰を吸い上げてもらうのでリハビリは実質20分できたら良いほうだった。5分、10分おきに痰が詰まって苦しくなる。機械で吸引してもらうのだが、これが辛い。痰が喉を通って出てくるまで息ができない、窒息状態だ。実際首を絞められて殺される人はこんな感じなのだなと思った。この体験は実生活には役に立ちそうにない。

私自身は奇跡的に回復が早くて命の危険は脱したと思っていたが、担当医によればmRSは依然レベル5のままで、いつ何が起こるかわからない状態だったという。

【8日】 

娘に紙とボールペンを持ってきてもらった。ベッドの背もたれを起こしてもらい、テーブルを用意してもらって文字を書き始めた。ミミズが這っているようなと言うとミミズに失礼にあたる、そんな字だった。

再びヘモグロビンの数値が下がる。内臓からの出血を疑い、胃カメラの予定が入った。

この日、生きた心地がしないと私が言ったらしい。

「手足は動かないかもしれないけど、ギランバレー症候群の患者はほとんどの人が生き延びている」

「お母さんのような重症でも、2年で杖を使って歩けるようになったって」

娘の力強い言葉にも、私は希望の光を見い出せなかった。発症前のようになるのはあきらめていたが、それでも気持のどこかで歩けるようになると信じていたかった。

【9日】 

四肢末梢動きあり

【10日】 

握力の数値が上がる。左腕を少し持ち上げることができるようになり、左膝を曲げられた。スマホのボタンは少し押せるようになったのだが、すぐに疲れてしまう。

この日の輸血でヘモグロビンの数値が再び3上昇する。普通は上がっても1.6だから、不思議な数字だった。まぁ、そもそもギランバレーが不思議な病気だから驚くことでもないだろう。そんなことよりも、あと2か月は退院できそうもないという情報のほうが衝撃だった。

私は10代の時に虫垂炎で1週間入院、お産で2回入院しただけだ。むしろ家族が入院するたびに看病してきた。たまには入院してのんびり寝ていたいなあと罰当たりなことを考えていたのだが、神様はそんな私を見逃さなかった。それにしても、この入院はきつい。