旅人 

妖魔の前に立ちはだかったのは、馬に乗った一人の男だった。男はおもむろに馬から降りると、手にした短槍を構える。数秒の間、両者の間で沈黙が流れ、突如として妖魔が男の方へ地響きとともに突進する。

男は突進してきた妖魔から身を翻し軽々と躱す。男の動きとともに束ねられた長髪が宙を舞い、弧を描く。男はまるで舞を舞っているかのように軽々とした身のこなしで妖魔を挑発する。突進を躱された妖魔は、踵を返し再び男に向かって突進する。すると男は、向かってきた妖魔に短槍の切っ先を向けると、勢い良く放つ。放たれた短槍は、妖魔の眉間に深く突き刺さる。

妖魔は勢いが余ったまま、頭から地面に転がる。妖魔は痛みに喘ぎしばらくの間苦しそうにしていたが、遂に動かなくなった。

男はすぐさま少女のもとへ駆け寄る。

「大丈夫か」

男がそう言うと、少女は安心したのか大粒の涙を流して泣き出してしまった。だが、何とか男の言葉に頷き涙で濡れた顔を必死に拭う。よく見ると、転んで擦り傷を負ったようだ。膝を擦りむき、そこから血が滲んでいる。男は服を引きちぎると、少女の膝に服の切れ端を巻き付けて縛る。

そのとき、またも森の茂みがざわつき始めた。男はとっさに腰に携えていた刀の柄に手を掛ける。だが、茂みの奥から出てきたものを見て、男は安心したように柄に掛けられていた手を緩める。そこに現れたのは、先程まで男とともにいたゲンだった。

「アニキ、置いてくなんて酷いじゃないかよ」

そう言ったゲンだったが、男の側に少女、少し離れたところに妖魔の死体が転がっているのを見て、困惑した表情を浮かべる。

「……何があったんだよ」

そのとき、先程の川での騒ぎを聞きつけた村人が何事かと慌ただしい足取りでやって来た。そして、そこに横たわっている妖魔の死体を認め、驚きを隠せない様子でざわつきだした。そんな村人たちの中に、少女の母親らしき女がいた。

母親は、少女が泣いているのを見て駆け寄ってきた。少女は駆け寄ってきた母親の胸に飛びつくと先程にも増して泣きじゃくる。母親は何が起きたのか理解できず混乱した様子だ。

「何があったのエリン」

そう言って母親は少女に尋ねるが、エリンと呼ばれたその少女は泣きじゃくるばかりで母親の声に応えない。母親は少女の隣に立っていた男を見て尋ねる。

「何があったんですか」

母親の問いに、男はこれまでのいきさつを話す。男の話を聞いた母親の顔は真っ青になる。そして娘をさらに強く抱きしめ、母親は少女に涙ぐんだ震えた声で謝る。自分の娘を一人で川へ行かせたことを後悔しているようだ。すると、今度は少女を救った男の行為に感謝し何度も礼を言う。

「ありがとうございます。この恩は一生忘れません」