●論理的帰結

実は、浅野氏が右の五重塔の心柱や側柱の風蝕に関する見解を発表した後、「(放置されていた年数は)少なく(・・・)とも(・・)数十年(・・・)」とした部分について、『法隆寺西院伽藍』(岩波書店)の中で「かなりの程度(少なくとも十数年を超えると判断された)の風蝕が認められた」という新しい表現を追加しています(浅野氏が最初の表現を撤回したと確認できないので、あくまでも新しい表現の「追加」と理解)。

浅野氏が当初の表現に対して新しい表現を追加した詳しい事情は分かりませんが、その背景は次のようなものだったのではないかと推察します。天智紀の法隆寺大火災の記事が正しいと仮定した場合、法隆寺再建のための期間は最長でも四十一年しかありません。

この四十一年という期間の中に工事の中断期間として「(放置されていた年数は)少なく(・・・)とも(・・)数十年(・・・) 」を確保しなければならないのですが、仮に工事の中断期間を二十五年とした場合、残る期間は十六年しかありません。

一方、法隆寺の再建は、前述のとおり敷地選定から始めなくてはならず、敷地が決定すれば、次にその造成工事が必要になります。今日の法隆寺の敷地は北西方向から延びる小高い尾根(すそ)を削り取り、削り取った土砂で脇の谷を埋めて造成されています。

谷を埋めて盛土した場合、埋めた地盤を十分に固めてから基礎工事に取り掛かるという段取りになります。これら敷地選定から土地の造成と基礎工事、さらに金堂・五重塔・中門・回廊の建築と塑像の製作までを十六年で仕上げなくてはならないのですが、果たして当時の技術で可能でしょうか。

つまり、浅野氏が指摘した工事の中断期間をどれだけと見るかによって、物理的に天智紀の法隆寺大火災記事の真偽が決定されてしまうという不安定な立場に陥るのです。仮に工事中断期間を二十五年より短くして二十年とした場合、残された期間は二十一年となりますが、これでも和銅四年(七一一)までに新しい敷地で法隆寺を再建することは厳しいと想像されます。