手術から1か月。

「退院したら3歳になるよ」と母が内緒にしている誕生日は、私の知らない間に通り過ぎた。もう1ヶ月もたったのに、状態は少しも良くならなくて、1週間ほどで出られることの多いICUを私はまだ出ていない。ストレスは限界に達して、泣いたりぐずったり、機嫌の悪い毎日が続いていた。

それからさらに1か月。私はまだICUで過ごしていた。モニターに映し出されているサチュレーションはどんどん下がり続けているのに、どうして下がっているのかすら分からない。ただ、回復を待つことしかできない日々。

母は、だんだんと先が見えなくなっていった。

「今回の検査で、初めて原因が見つかりました」

手術から3か月が過ぎようとしていた日。いつものように病棟に入った母は、担当の先生に声をかけられた。

検査によると、本来あるべきではない心臓への逃げ道となる血管が育ったことで、酸素を取り込んでいない血液が体を巡ってしまっているのだそうだ。一度、衰弱して亡くなるまで原因にたどり着けなかった子と、状態が似ているとも先生は言った。

すぐに大きな検査を行い、もう一度手術を行うことが決まった。けれど、もうほとんど食べていなかった私は、起き上がるのが精一杯。ベッドの上で立って歩く体力さえ残っていなかった。

「このままだと、体が手術に耐えられない」

「少しでもいいから、何か食べないと」

1週間後に控えた緊急手術に向けて、体力を少しでもつける日々が始まった。チョコ、プリン、クッキー。食べられそうなものなら何でもいい。「ココアが飲みたい」と私が言うと、看護師さんがカロリーを高める粉を混ぜてくれた。

手術は成功。40%まで下がっていたサチュレーションの値は、91%まで上がった。手術前は予想もしていなかった長い入院生活に、ようやく光が見えてきた。

「なんとかこのまま持ちそうなので、様子を見ましょう」

7月、私はICUを卒業して一般病棟に移った。歩行許可もおりて、点滴を連れて病棟を少し歩く。

ほんのりとご飯の匂いがする食堂、絵本やおもちゃが揃えられた賑やかなプレイルーム。細くなってしまった足をふらふらと進めるけれど、支えがなければ倒れてしまいそうになる。

それでも自分で歩こうとする小さな私の、生きようとする力に、母は驚かされた。