二
はい、はい。お待ちしていましたよ。玄関の鍵は掛かっていませんから、さぁ、さぁ、そのままお入りください」
玄関のベルがなかったものだから、「ごめんくださ~い」とそっと呼び掛けた。しばらくして、午睡から目覚めた伝説の仙人が玄関の所で出迎えて、わたしを庵いおりの中へと請じ入れた。この家の主人は、「鍵は掛かっていない」と言ったけれども、締まりが悪くて初めからドアが半開きだった。これじゃあ、鍵を掛けようもないわよね。声を出さずに苦笑する。
外から見ると、いかにも古ぼけた日本家屋だ。だが、家の中はこぎれいに整頓されていた。年寄りの男所帯にしては、きちんとしている。通称・カメさん。只野亀春翁は案外、几帳面で清潔好きな人だな、と第一印象で「〇」をつけた。
狭い廊下を通り、四畳半の茶の間へ通された。さっき庭からのぞき見たように、部屋の真ん中にテーブル代わりの炬燵が鎮座していた。正座をして挨拶しようとしたら、さっと座布団を敷いてくれた。
「ちょっと散らかっていますけれども。まずは、どうぞお座りなさい」
気が利く人だ。これで、わたしの印象度は「◎」にアップした。
「お初にお目にかかります。愛澤繭子と申します。よろしくお願いいたします」。
そう挨拶して、名刺を差し出した。
「ほーっ、愛澤さん、というお名前ですか。珍しい。あいざわの『あい』は、相談の『相』と書く人が多いですが、『愛人』の『愛』とは。とても良い名字です」。
名刺を受け取りながら、カメさんが言った。あらま。愛人の愛だって。面白い表現だこと。変わった例を挙げた老人に向かって微笑みながら、こう答えた。
「そうですね。よく珍しい名字だと言われます。父の出身地である岩手県の内陸部や、福島県浜通りでは、『愛する』の『愛』という名字の人がけっこういるみたいです」
「ほう、そうですか。とっても良い名字です。繭子さんという名前も素敵です」。
この家の主人は相好を崩して、続けた。
「繭は純白で卵のような丸い形をしている。ボクは卵が大好きです。真っ白で、肌がすべすべして、まあるい形。まるで女性のお尻のようです」
とにっこり。初対面の女に向かって、なんとまあ、あけすけな表現だこと。自分のことを言われているみたいで、なんだかお尻がむずむずしてきたわ。それに、百歳のご老人が、自分のことを”ボク”だって。ハイカラなおじいちゃんだわ。おかしくって、思わず口元を緩めた。それを見たカメさん、「何か変ですか?」と言うので、わたしは「いえいえ」と否定した。
「それでね、大好きな卵を使ったオブジェをよくつくるのですよ。廊下の棚をご覧になりましたか?」
と百歳の芸術家が尋ねる。そういえば、廊下の右手にカラーボックスがあった。その中に卵の殻に色づけしたオブジェやら、粘土細工やらが幾つか並んで置かれていたわ。
「はい。あとからゆっくり拝見させていただこうと思っていました」
「ま、作品というより、ガラクタばっかりですけれどもね」
カメさんは「おっほっほ」と笑った。