第二章 協調性と独創性「人間」考

見るからあるvsあるから見る

朝のラジオのニュース(二〇〇九・三・五)を聞いてびっくりした。

「茨城県が医師確保のために筑波大学と東京医科大学との連携を強化することになり、筑波大学は神栖済生会病院へ、東京医科大学は筑西市民病院と小美玉市医療センターへ医師を派遣することになった」(詳細は三月六日付『朝日新聞』など参照のこと)というニュースだった。

「地域医療を考える」(『常総新聞』秋山教授のイメージ塾二〇〇九・二・一七、本書一五ページ)で、ドンキホーテと言われようとも、神栖の地にすばらしい中核総合病院が生まれることを夢みていると書いたばかりだったし、これから有志で相談しながらやっていこうと考えていた矢先だったので、大歓迎のニュースだったが、一瞬拍子抜けした。

もちろん行政が動けばそれですべてが解決するほど医療問題は単純ではないだろう。われわれとしては住民の立場でやることはいくらでもあるだろう。

例えば、多くの病院では順番が近づいてくるとまとめて何人か呼び込むが、医者と患者の会話は筒抜けである。

このような診察環境で患者が本当に言いたいことを言えるだろうか。医者や看護師がそのようなことに気づいてないはずはないだろうが、効率重視の診察方式なのかもしれない。

あるいは、患者の気持ちにまったく気づいてないようなことがあるとすれば、いずれの場合も住民グループの出番ではないだろうか。素人が個人で何を言っても聞いてもらえる確率は低いが、多くの人の声となれば病院側も無視できないだろうし、いい病院づくりの参考にもなるだろう。

また、住民も軽い症状の時には近くの開業医にかかるとか、タクシー代わりに救急車を呼ばないなどの意識改革も必要である。そのような「地域医療を考える会」とか、もっと大風呂敷を広げて「地域問題を考える会」などの組織を立ち上げてみたいものである。

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