無限の愛とは
愛の本質は与えることです。それはちょうど太陽の光とよく似ています。太陽は、私たちに何の見返りも求めずに毎日毎日光を与えてくれています。実は愛も太陽の光のように私たちに生きる力を与えてくれる大いなる存在であるのです。そのことについては今の学校ではどの先生も教えてくれません。
これまで皆さんも、とっても気分がいいときや何かいいことがあったとき、幸せを感じると同時に自分は目に見えない存在から愛されていると感じたことはないでしょうか。すべての愛は、目に見えない大いなる存在から無償で与えられ、人間はこの地球の中で生かされているのです。
では無償の愛とは何でしょうか。それは見返りを求めない愛です。与えきりの愛です。それはちょうど母親が子供を育てるときに与えている愛とも似ています。与える愛は創造主の愛と共通しています。
創造主という言葉はあまり皆さんになじみのない言葉だと思います。そしてすぐには理解できない言葉であるとも思います。
人間は人間として創られた
現代の人々はここ数百年の科学文明の進歩によって、科学的に証明できない神や目に見えない存在を否定するようになりました。その結果現代人の9割近くは、目に見えない創造主の存在が理解できなくなっているのです。
また人間の存在も神が創ったのではなく、ダーウィンの進化論に基づいて偶然の突然変異が重なってアメーバのようなものから人間に進化していったのだと教えられてきました。それを真実のように考えている人が未だにたくさんいます。
私たち人間はアメーバから進化して、偶然に偶然が重なって人間に進化してきた存在ではないのです。学校教育の影響もあるのでしょうが、多くの人たちは、「アメーバが人間の先祖であり、そこから進化して人間になった」と考えています。
そういう人たちに対して、私は、「では、それを証明してごらんなさい」と言いたいのです。しかし、それを証明できた人などいません。アメーバから人間になっていく途中のものが、もし生きて存在しているのなら、連れてきて順番に並べてみてください。
「これがアメーバで、ここからがナメクジで、ここからがカタツムリで……」というように、人間まで進化する過程を見せていただきたいのです。
その過程には、「途中のもの」、「変化中のもの」があったはずです。それは、今でも存在していなければいけないでしょう。ところが、今、存在している生き物は、“すべて完成されたもの”ばかりです。すでに完成された「種」しか存在していないのです。この意味が分からないでしょうか。
仮説に基づいて意見を述べるのは結構ですが、仮説はあくまでも仮説であって、真実ではないのです。それを忘れないでください。(『信仰の法』大川隆法著、幸福の科学出版より引用)
ここで注目しなければならないのは、「いま存在している生き物は、“すべて完成されたもの”ばかりです」と述べられていることです。これは何を意味するかというと、すべての生き物は、完成された形で創られていて極端に変化することはないということです。
つまり人間は人間であり、ネズミはネズミであり、花は花であるということです。花が花以外の動物とか、人間にはなりえないのです。それぞれが完成した形で創造された存在であるということです。すなわち、すべての物や生き物、この壮大な宇宙ですらそれを創った存在があるのです。その存在が創造主といわれるものなのです。