よく、僕は、人に誤解を与えると言われてきた。このBARのバーテンダー、数少ない友人のうちの一人にもそう言われたことがある。
──いいやつなのに、人一倍人思いのやつなのに、誤解をされている。
友人はかつて、東京のBARで修業をしているとき、僕にそう言ってくれた。そのときの僕は、お気に入りの“YOKOHAMA”を飲みながら、
「誤解されてもいい」
と、一言つぶやいた。
あの頃はもう、自分を糊塗することは諦めていた。人と合わせるなんて到底できないと思ったからだ。やるべきことをキチッとやる自分を誤解するなら、それでいい。
手本になるような生き方をしろと言われ続けたことへの反動なのかもしれない。
勉強をしっかりやる自分は、手本になるような生き方をしたのではなかった、
ということに気づいたときにはもう遅かった。だから僕は、他人への興味を全く失ってしまっていた。