そして、最後に厳しいことを言われた。まさに現場の声である。
「君たちは試験運用で捜査第三課に来た。それぞれの執行隊で窃盗犯検挙の成績が一番良い者を登用した。推薦した第一線の捜査員は山ほどいるから君たちを好んで取った訳ではない。君たちがどのぐらい優れ者かを見極めたいとの上層部の意向だ。使えない人材なら当然入れ替えるからしっかり仕事をしてもらいたい」
かなり手厳しい𠮟咤激励の洗礼とも言えるものであったが、今に思えば懐かしい。当たり前の愛情だったと受け取れる。中條自身、凄いところへ来てしまったと思い、やや元気がなくなり、意気消沈するほどまだ若く無垢であったが、これを素直な気持ちで受け入れ肝に銘じていた。
これは、人事異動発令当日の純粋で緊張感があふれている時を狙った間髪を入れない絶妙なタイミングである極めて効果的な指導であった。自ら半人前であることの自覚から、新たな気持ちで何事にも前向きに一所懸命取り組んで行く姿勢が整えられた。こうして捜査第三課における基本捜査の学びと将来への大化けを期待されながら、多くの上司、先輩から基礎を築くための指南を受けることになった。
当初は特捜主任であったが、事後手口捜査主任を経験させられたことが大きな知的資産となった。現場臨検、手口観察、手口分析、同一手口対象者の抽出、犯行予測、犯行現場の選定、捜査支援資機材のひとつである侵入通報装置の設置などの基本的なことを学んでいた。捜査支援資機材といっても、同一電流施設内の数か所の電源部に各機器を設置の上、鉄製の棒状から電磁波を発し、そのエリアへの侵入者を感知させる程度の物であった。
この原理を理解し、犯人の行動を読み取り巧みに使いこなしていたが、いまだ物理的、機能的に不十分な時代であった。これが、体感治安のバロメーターである直接市民生活を脅かす侵入窃盗犯を一人でも多く捕まえたい一念から、より優れた合理性のある捜査支援資機材の開発改善につなげる原点であった。