第2楽章は私がこの曲の中で一番好きな楽章で、いつも愛聴している。冒頭部から管弦楽の奏でる主題が悲劇的な様相を呈している。次いで、ピアノがこの第一主題を独奏する。悲しみをじっとこらえて耐えているような感じである。
やがて、悲しみが和らぎ、心が落ち着いてくる。しかしながら、その次に現れる第二主題もとても悲しい音楽で、明るい希望は見えてこない。その後冒頭部の音楽に戻り終了する。この時期にこれだけの悲しい音楽が作曲されるとは!
この後モーツァルトの身に起こる大きな悲しみ(マンハイムでのアロイジア・ウェーバー嬢との別れ、パリでの就職失敗と母の死、ミュンヘンでのアロイジアとの失恋、ウィーンでのコロレド大司教との決裂等)を予言しているようである。
だが、モーツァルトの悲しみの音楽は聴く人の心を意気消沈させるような悲しみではない。どこかに救いがあるような悲しみと言えよう。つまり、悲しみを少し和らげてくれるのである。それは旋律が美しいからだと私は思う。
晩年の透き通るような悲しみの音楽を先取りしているのである。この点が「ジュノム」が多くの人の心を捉えて離さない理由なのではなかろうか。第3楽章ロンドはがらりと変わって力強い音楽で開始される。何か勇気付けられるようである。
展開部にはゆったりとした、心弾むメヌエットの部分が現れる。この部分が私の大好きなところで、人生に希望が湧いてくる。そのあと冒頭部の音楽に戻って終了する。なんとも豊富な内容を含んだ傑作ではなかろうか。
私の愛聴盤はヘブラーのピアノ、ヴィトルド・ロヴィツキー指揮、ロンドン交響楽団の演奏である(CD:フィリップス、DMP-10008 、1968年1月、ロンドンで録音)。ヘブラーはモーツァルトの音符に忠実に弾いて、悲しみを込めたこの音楽の素晴らしさを見事に再現してくれている。
内田光子のピアノ、ジェフリー・テイトの指揮、イギリス室内管弦楽団の録音(CD:フィリップス、473890-2 、1989年10月ロンドンで録音、輸入盤)もよく聴いている。
内田の繊細かつ細やかなピアノが素晴らしく、イギリス室内管弦楽団の管楽器も美しく響いており、名演奏と思われる。