第一章「着信」
「いってきます」
「いってらっしゃい、今日は十九時にいつもの場所で待ち合わせだからね」
わかってるよ、と振り向くと彼女が満面の笑みで手を振ってくれる。
「それならよかった、すっごく楽しみ」
「仕事が終わったら連絡するよ」
見送ってくれる彼女に手を振り返して家を出る。
残業続きの僕を気遣って、式の準備をほとんど引き受けてくれた彼女に申し訳なさを感じて、今日は二人でゆっくり外で食事をしようと誘っていた。式の準備だけじゃない、部屋の掃除や食事の支度といった家のことも彼女が率先して引き受けてくれているから、その感謝の気持ちも込めての提案だ。
予約しているお店は自宅からほど近い場所にある、赤ちょうちんが目印の大衆的な居酒屋だが、二人で初めて飲みに行った思い出のお店ということもあり、ちょっとしたお祝いごとなんかがあるときの行きつけになっている。
いつもは低血圧のせいか眠い目をこすりながらなかなか布団から出てこない彼女だが、この日は朝から上機嫌。朝食は決まってトーストとコーヒーだけど、フレンチトーストとサラダが食卓に並んでいて、鼻歌交じりで身支度していた様子からも今日の約束をとても楽しみにしていることが伝わってきた。
いつもより豪華な朝食とご機嫌の彼女、そして出がけにちらっと見た朝の情報番組の星占いも一位で「今日はあなたにとって最高の一日」なんて言っていたから、会社への足取りも軽くなる。
ここ最近は雨が降り続き、じめじめとした空気と会社に着く前から肌に張り付くシャツにうんざりしていたが、この日は梅雨の合間の貴重な晴れの日。久しぶりのからっとした空気を感じながら、今日はついていると陽気な気持ちで歩き出す。
彼女と住むアパートを出て緑地遊歩道を抜けてすぐの大通りをまっすぐ進むこと約十分。駅の改札を抜けていつもの車両に乗って、四駅先にある会社の最寄り駅まで携帯電話でトレンドに上がるニュースを見ながら過ごす。
あの芸能人も結婚したんだ、なんて驚いていると、黒いスーツに身を包んだサラリーマン、長い髪を丁寧にまとめたOL、ヘッドフォンで音楽を聴きながらスマホゲームをしている学生たちが一気に降りる都会のど真ん中の駅に着く。
僕も人の流れに乗って電車を降り、首が痛くなるほど見上げる高さのビル群の中でもひときわ高いビルを目指す。朝のこの時間は行列ができるエレベーターに体を押し込み、白新総合広告社と書かれたドアを開ける。これが僕、黒田透の日常だ。