それから病は急速に進んだ。一カ月半もすると、自力では立ち上がることが困難になり、伝い歩きもできなくなった。私達には想像を絶する速さに感じられた。馬蹄付きキャスターも不要になり、正式に病名を宣告されてから五カ月が過ぎた頃には、完全に車椅子生活に変わった。

硬く握りしめられた手から、妻の命が私の目の前でするりと抜け落ちていく。もう決して、死から救うことの出来ない妻になっていた。そのことを強く意識するようになった。

根本的な治療方法がない中で、筋肉の衰えだけが目に見えて進んでいく。その現実に私達は苦しんだ。それでも大学病院から紹介されたA病院で、延命効果がわずかに期待できる、「ラジカット」という点滴を、藁をもすがる気持ちで開始した。そのことが、二人の気持ちを少しだけやわらげた。

第一クールは十四日間の入院で薬の投与を行い、続く十四日間は家で休薬する。第二クールからは十日間の投与と、十四日間の休薬というセットになる。それを第八クール、約六カ月間、繰り返した。第六クールを一単位として効果の検証をするのだが、丁度その時期にさしかかっていた。

A病院の担当医は、口髭を生やした初老の医師だった。気分屋との噂があり、なんとなく、尊敬と畏れを感じていた。苦手意識から逃れられずに、最初から会話が続かない存在だった。反骨精神の持ち主というのがおおかたの評判であった。その点は私と似ているが、私の場合、強がりが何時の間にか天邪鬼に変わっているのだ。

私は京子の命がどれだけ延命されたのか、その期間を知りたかった。その結果で、気管切開をする時期が後にずらせる。そう考えて面接に応じた。

「先生、前々から疑問に思っていたのですが、延命効果の月数は、どのようにして計算するのでしょうか?」

思案し過ぎて、いきなり無遠慮な疑問を投げかけてしまった。先生は不機嫌さを抑えた目で、しばらく私を見た。

「正直に申し上げますが、この病院はデータを送付しているだけで、別の機関で効果検証しているとしか言いようがありませんな」

予期していない質問だったのか、最初から気まずい緊張した会話になった。私は白衣と大きな椅子に威圧されながらも、それらを振り払うようにして、小さな丸椅子から重ねて訊ねた。

「治験報告で、数カ月の延命効果と新聞記事で見かけたのですが、人の命をどうやって計るのですか?」

ALSの解明度に対する医学上の遅さの不満を苛立ちの感情として、こともあろうに、気難し屋と言われる先生にぶつけた格好になってしまった。もう、私の性格上、簡単に引き下がれなかった。

【続きを読む】助けを求める夫に、医師が態度を急変させたワケ