【前回の記事を読む】出産後6ヵ月、妻が40度の発熱…夫が「バカッ」と怒ったワケ

仕事と家庭

一方で、私の仕事は行き詰まっていた。

育児休暇を一年と決めていたが、二年目に入っても東京での仕事に就けなかった。アテにしていたコネが使えなかったこともあるし、田無から都心への通勤に躊躇したこともある。大きく心にブレーキをかけたのが、産院から帰宅した最初の夜に、義母から言われたひと言だった。

私が娘を抱っこして「かわいい」と言った直後、「かわいいでしょ。だから、保育園にやるようなことはしないでね」と、釘を刺されたのである。

驚いた。博史は、働く女性が好きだと言っていたし、私が働くことは結婚の前提のはずだった。ただ、義父母の考えまでは聞いていなかった。義母は良妻賢母のモデルのような女性で、私が働くことには反対だった。

「親離れするまでは、母親は働いてはいけないのよ」と、はっきり言われたこともある。

折に触れて、仕事には就かないようにと注意された。この時代には結婚した女性が出産後も働くことはまだまだ珍しかったのである。

そのうえ、肝心の娘がしょっちゅう熱を出す。一歳を過ぎた頃、近くの医院だけでは不安になり、日赤病院で検査を受けた。発熱の原因がわからず、毎週水曜日、車を運転して通った。有名なかずの踏切を越えて、二時間かけて病院に着く。そこで、診察までまた待つ。検査も時間がかかる。おしっこからは菌が検出された。しかし、それほど強い菌ではないという。

診断が下されるまで二カ月かかった。

「この赤ちゃんはハイパーアクティブなんですね」

元気すぎる赤ちゃんなので平熱そのものが高いのだろう、という見立てだった。

恐ろしい病気ではなかった結果に安堵し、それまでの泣き続けの原因もわかったが、対処の仕方としては「昼間できるだけエネルギーを使わせて、夜は寝るようにし、年齢が上がるのを待つしかない」とのこと。

これでは、時間割の決まった保育園の生活に合わせることは難しく、子どもを保育園に預けて私が働くのは無理だと思った。独身時代の上司から「京都であなたにぴったりの仕事があるのだけど、今のあなたには遠距離通勤は無理でしょうねえ」と言われて、がっかりした経験もある。