看護専門学校の三大行事の一つである戴帽式が近づいてきた。第一期生が二年生の秋(昭和六十二年十月八日の第二木曜日)に挙行しており、当日に配布した資料が保存されており、国田は今年度も同じ形式で挙行することにしたので、労することはなかった。ただ、保護者も出席するので、来賓の方々と同様に気を遣っているのが顔に表れていた。
式当日は、来賓の方々は尾因市長、尾因市歯科医師会長、尾因市立市民病院長、同看護部長等の面々である。励ましの祝辞が述べられると、続いて、壇上でナイチンゲールの像に点火されたローソクから学生の一人ひとりのローソクに点火して、その場で背を低くして教務主任である国田からナースキャップを着けてもらった。
壇上で二列に整列したところで講堂は消灯され、全員でナイチンゲール誓詞を暗唱した。ローソクの灯りのみの幻想的な学生の姿は多くの参加者の瞳に焼きついて、生涯印象に残るものと思われる。学生が一列に並んで壇上から降り、場内を一周する姿もファンタジーの世界である。こうして戴帽された学生にとって一生忘れることのできない式となるのである。
国田はナイチンゲール誓詞を尊重しているものの、ただ一つ「われは心より医師を助け」の文言に疑問を持っていた。
医師と看護師は車で言えば両輪であり、どちらが欠けても機能しないので、あくまでも対等な関係であり、医学と看護学は同等な学問であるというのが国田の持論である。
国田は以上のようなことから看護の理念を学生たちに理解してもらうためと、学生の親睦を深める必要から戴帽式の翌日を祝賀会と称して全学生を講堂に集めて、茶話会形式での勉強会を計画していたのである。そして、国田はこの場でナイチンゲール誓詞の中の「医師を助け」は「医師と協力し」が正しいのだと持論を展開することを予定している。