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前原希代美は、光彦からも電話がかかってきたことを淳美には話さなかった。

光彦が喫茶店から出た後、希代美は余韻に浸っていた。希代美は光彦に一目惚れしていた。遠藤あかねは高沢光彦、淳美夫婦を離婚させてほしいと望んでいる。高沢光彦は遠藤あかねと別れたいと望んでいる。この二つの望みさえ叶えれば、光彦は独り身になる。そうなれば自分にもチャンスが訪れるのではないか。

では、二つの望みを叶えるにはどうすればいいだろうか。光彦が去ってから一時間後、希代美は喫茶店を出た。

希代美は東北地方のひなびた漁村に生まれた。希代美にとって故郷に良い思い出はまったくなかった。思い出すのは、いつも酔っ払った父が母に暴力を振るっている光景だった。母をかばおうとすれば自分も殴られるのは経験でわかっていた。故郷を思うとき、そこにはいつも恐怖があった。

母が突然いなくなる夢を何度も見た。そんな朝は目覚めて隣に母がいるのを見つけて、嬉しさのあまり涙を流した。いつか母が自分をどこか平和な世界に連れていってくれる、そう信じていた。

しかし、小学校高学年くらいになると、それもあきらめざるを得なくなった。母は父から逃げることなどまったく考えていないようで、逃げない母に対する不信感がしだいに大きくなっていった。父の暴力がトラウマになったのか、希代美は男性とは結婚どころか、付き合うこともできないと思っていた。

思春期になって、まわりの同級生が男性アイドルやクラスの男子生徒の話で盛り上がっていても、希代美はその話の輪に加わることができなかった。

希代美は小柄で色白、愛嬌のある少し垂れ目の少女だった。告白してくる男子生徒もいたが、希代美はそれを断った。まわりからはお高くとまっていると勘違いされ、希代美は学校で孤立していた。いつも一人、殻に閉じこもっていた。