【前回の記事を読む】「だって彼は音大出てないんだろう」偉そうな教授の一言に女子学生は…

一闡提の輩

瑠衣は嬉しそうな口ぶりで、意気揚々と語った。

「私が二年生のときの定期演奏会の前日、当時キャプテンだった三年生の福井先輩の指示で、一緒に次の主将として井上先生を駅まで迎えに行くことになりました。

マネージャーのスーツケースは福井先輩、楽譜の入ったカバンは島田先生、井上先生の私的なカバンは私が持つことになっていました。井上先生を島田先生と福井先輩と私の三人が鶴前市駅のホームでお迎えしますと、いかにも重そうなカバンを持ってマネージャーと一緒に電車から降りて来られました。

私が、『井上先生お持ちします』と言ってカバンを受け取ろうとしたところ、『女性に持ってもらうなんて失礼だよ』と一旦断られました。それでも私は力を振り絞って持とうとしました。そうすると、『孫娘に引かれて善光寺だね……』と冗談ともつかない優しい眼差しでカバンの取っ手から手を離されました。御年九十歳を超えておられたのですから当たり前ですよね。

それから改札を出て、鶴前に来られると決まって利用される小さな洋食屋に入り、ハンバーグステーキを注文されました。すると、井上先生が店の隅に置いてあったカバンからワインを取り出し、『親父! あんた好みの銘柄持ってきたから』と言ってカウンター越しに渡されたんです。

『先生、いつもいつもお気遣いいただき、ありがとうございます』と言いながら、『いつものサイズでよろしゅうございますか』と店主が聞いたところ、『ああいいよ』と気っ風のいい声で注文されました。

マネージャーと私たちが、『普通サイズでお願いします』と注文したところ、井上先生は『島田くんはともかく君ら高校生は若いんだからキングサイズにしな』とぶっきらぼうに言って『おい親父、キングサイズ三つ。ワハハ……』と笑い飛ばされました」

坂東はさらに聞き耳を立て、瑠衣をせっついてきた。

「瑠衣ちゃん、もっと聞かせてくれないかな。僕は井上先生のような指揮者になりたかったんだ」