克裕は警察に電話をした(当時克裕は防犯協会の隊員もやっていた)。何が起こっているのか見当がつかないので、
「できればサイレンを鳴らさずに、様子を見に来てほしい」
と言った。ほどなく警察がやって来た。警官たちは家の中を調べていたが、
「高橋さん、金庫は大丈夫かい」
と尋ねてきた。そうだ、金庫だと思い、確認すると、カギはかかっている。中を開けてみると、新築したばかりのこの家の権利書や預金通帳が無くなっている。警官にそう告げると、警官は金庫の中を見て、
「ああ、高橋さん、これは身内の仕業だねえ」
と言った。喜代子だった。その後、隣人に尋ねると、
「長男さんもいっしょに荷物を積み込んでいたので、てっきり、長男さんの引越かと思ったよ」
とのことだった。
当時、長男は東京の専門学校に通い、次男は福島で大学に通っていた。
その自宅には夫婦二人だけが住んでいたのだが、喜代子は帰省していた長男に手伝わせて内緒の引越を決行したのである。克裕は、長男までもが自分に内緒で母親と結託して、家出の計画を練っていたのだと知って、悔しさで胸が張り裂けそうになった。
喜代子は、空手の指導員で空手三段の夫が、足を複雑骨折していて動けないのをいいことに、『今がチャンスだ』とばかりに、家の預金通帳や権利書、家財道具一式を持って出て行ったのである。
新店舗建設中に足を骨折してしまい、心が折れそうになっている夫を支えるのが妻の役目だと思うのだが、喜代子には、そんな思いやりの心が一ミリもなかったのだ。