【前回の記事を読む】「ああ、これは身内の仕業だねえ」もぬけの殻の金庫に警察は…

八、どん底からの躍進

道路に面して建っていた旧店舗で営業しつつ、その裏の中庭に蔵を覆うように新店舗を建て終えると、一日だけ店を休業にして、その日のうちに、旧店舗から裏の新店舗に、すべての商品を運び出した。そして、旧店舗を取り壊している間は、旧店舗の脇を通り、新店舗に入れるようにし、旧店舗の建物のあった場所は、十台分のお客様用の駐車場にした。

克裕は、松葉杖をつきながらの不自由な生活だったので、妻と専門学生の息子が家財道具一切を持っていなくなった自宅からは通わず、新店舗の裏に建つ両親の住む家から通った。克裕のかつての部屋は二階にあり、お尻で一段一段階段を降りながら、心の中で、『負けるものか、負けるものか。こんちくしょう……』と叫んでいた。

店が夜七時に終わり、裏の家で母の作ってくれた夕食を食べ、夜八時ごろには店の事務所へ戻った。当時はパソコンが出回り始めたころで、ワープロもやったことのない克裕は、毎晩『ホームページの作り方』の本を読みながら夜二時までの作業を続け、半年ほどで完全自作のホームページを作り上げたのだった。

オープンから二年八ヶ月、一日も休むことなく、年中無休で営業する店に出ていた。ぜったいに失敗するわけにはいかないからだ。

新店舗をオープンしてからは、他の店には売っていない超珍しい商品である「こうじ」や、こうじを作るこうじ菌、納豆菌、豆や、宮城県ならではの枝豆から作る「ずんだ餡」や、黒ごま餡、北海道の十勝あずきを使った美味しいあんこや、お寿司屋さんの『味付すしあげ』など、全国から美味しいものを仕入れた。

その経営センスは群を抜いており、宮城県の中でも米どころ角田市の、農家の多い土地柄に根づいた商品を考えに考えて品備えしていた。

角田市では、春秋の彼岸、お盆、正月には、親族が角田市の本家(ほんけ)に集まり、餅をつき、餅料理を振舞う風習があるので、冷凍のもち草(ゆでて、刻んであるよもぎ)や、ずんだ餡などを。

また、お人寄りの時や、お祝いの時には、「くりあい(・・・・)が、良くなるように」とか、「やりくり(・・)が、うまく出来るように」と、栗ぶかし(栗を入れたおこわ)を作るための、冷凍のむき栗を大量に仕入れて売ったのだった。

冷凍のむき栗を保管するため、店の奥の作業場に二坪のウォークイン冷凍庫も準備した。栗ぶかしを入れて、親戚やご近所に配るための使い捨てのお弁当パックも販売した。お弁当パックなどは、百枚入りや五十枚入りなのだが、一般のお客様にも購入しやすいようにと、十枚入りを作って販売した。