【前回の記事を読む】「子ども」を教育するということは、「筋書きのないドラマ」

「やり方」ではなく「向き合い方」を教える

私は、中学校の教師として授業では「保健体育」を教え、部活動では「陸上競技部」顧問として長年携わってきましたが、授業においては「バレーボールの上手くなる方法」だとか、部活動においても「陸上競技の速く走る方法」を教えてきたつもりはありません。

私が主に教えているのは「バレーボール」や「陸上競技」の技術ではないのです。

「バレーボールの技術上達のためにどうバレーボールと向き合うのか」、「陸上競技の記録向上を目指して陸上競技とどう向き合うのか」を教えているのです。

つまり、何事も上達や成長する過程で必ずつまずき、ときには大きな壁が前に立ちはだかります。そんなときにその課題や問題に対して「どう向き合うのか、どう向き合わなければいけないのか」を考え、「子ども」がその課題や問題を自ら克服していくためにはどうすればいいかを一緒になって考えていくのです。

私はこれが、「教育」の原点だとも思っています。

この克服の道筋や注意点は、「子ども」によって、あるいはその中身によって変えていかなければいけません。それをその場、その場で考えていくのが教育者の役割です。

これがもし、プロスポーツの監督だったり、実業団スポーツの監督だったら「バレーボール」や「陸上競技」の技術向上にかかわることを教えるべきです。しかし「教育的スポーツ」の指導者の基本は、その活動を通して「子ども」を「人」に育てていくことが目的であり、「人」になるための手段として支援するべきだと考えています。この考え方には、いろいろな意見があると思いますが、私が長年「子ども」に携わってきて得た一つの結果です。

「教育」とは課題解決の HOW TO を伝達するのではなくその向き合い方を一緒に考えることである