【前回の記事を読む】【小説】仕事との両立で結婚を悩む私に彼が提案したこと
婚約
彼と話していると、時間がすぐに経つ。私たちは、毎晩二時間くらいチャットをし、それでも話し足りなくて四千字以上のメールを交換し合うようになった。五千字を超えることも珍しくなかった。やがて、お互いの家庭環境についても話すようになった。そして七月、博史が京都へ来て、私たちは婚約した。彼のプロポーズはちょっと変わっていた。
「結婚という形は取らなくてもいいんだけど。つまり、事実婚でもいいんだけど」
「事実婚?」
「結婚して姓が変わると、それまでの論文とは著者名が変わるから、新人だと思われる場合があるよね、せっかくキャリアを積んできたのに。だから、紙切れの結婚証明書は提出しないで、事実婚を選んだカップルもいる。君が姓を変えたくないというなら、当然僕はその気持ちを尊重したいと思っている。僕も西原の姓を変えたくないし」
「私は、戸籍はあなたのほうに入れてほしい」
「えっ、そうなの!?」
「だって子どもができたときに、困るもの」
「そうなんだよ。そこが日本の法の不備なんだけど」
「仕事はペンネームということで、福田にしたいけど」
「もちろんだよ。考えたら、女優とかもみんな芸名だもんな」
「私は女優さんじゃないけど」
「表札は、西原と福田と、二つ掛けよう」
「はい」
仲良く並んでいる「西原」と「福田」の表札を想像して、うれしくなった。ひと月後、私はタイとベトナムに出張した。見送りに来た博史が「ゴミ、一つ持ってって」と言って差し出したのが、小さなダイヤ入りの指輪だった。
「ゴミ?」
「もうちょっと大きいのにしたかったんだけど、今の僕が買えるのって、ほんとにゴミみたいに小さいんだもの」
「ありがとう。ゴミじゃないよ。すごくきれい」
「実は、もう少し大きいのもあったんだけど、きれいなほうがいいと思って、これにしたんだ。だいぶ迷ったんだけど。……大きいほうがよかった?」
「ううん。これがいい。きれいだし、デザインもいいもの。ステキだわ。ありがとう」
「よかった! ああ、よかった」
胸をなでおろして率直に喜ぶ彼の顔が少年みたいだった。