「それから、これも持ってって。どれも良い本みたいだよ」と言ってカバンから出したのが、タイとベトナムのガイドブック三冊。確かに良い本のようではある。だが、ハードカバー本で三冊は重いし、かさばる。まいったなあと内心思ったが、不平顔を見せて不愉快な時間になるのが怖くて、お礼を言った。
「ありがとう。ガイドブックを探す暇がなかったから助かる。飛行機の中で読むわ」
そのタイやベトナムで、私はどこを歩いても、博史のお土産ばかり気になってしまうのだった。Tシャツ、寺院や観光名所の絵葉書、男物のスカーフ、スイーツ。相手のために買物する時間は、相手を想って使う時間だ。彼もこうして私のために指輪やガイドブックを選んでくれたのだ。
好きな人のために時間とお金を使うことが、何よりうれしかった。西原の両親の家を初めて訪れたとき、私は大失敗をしてしまった。お手洗いを勧められて、特に行きたかったわけではなかったのだが、断るのが悪い気がして使わせてもらった。それが失敗の元だった。シャワートイレというものを知らなかったのだ。
「すみません、私、あの、とんでもないことをしてしまって」
「どうしたの?」
「あの、押したボタンが間違っていたみたいで、水があふれてきて」
「あふれた?」
「はい、あの、どうしましょう。床を濡らしてしまいました。すみません」
もう消え入りたかった。身を小さくして、おわび申し上げた。
「ひょっとしてシャワーのボタンを押したの?」
「ひょっとしたら、そうかもしれません。すみません」
大笑いが、三人の反応だった。義母は「気にしないで。なんでもないから」と、やさしい。義父はまるで自分たちの落度であるかのように
「シャワートイレ、珍しいでしょう。うちは、私が座って仕事をするもんだから、痔があるのでね、これがないと困るんですよ。博史もそうだと思うんで、新婚所帯にも、シャワートイレは付けてやってください」
すぐに博史が「使い方は、僕が教えるから」と、笑いながら言う。私はさらに縮こまって
「すみません。あ、でも、ほんとに水びたしで……お雑巾、貸していただけませんか」
言った途端に、また爆笑された。笑い声の中から、義母が小さくつぶやいた「よかった。安心した」という言葉が聞こえた。その瞬間、義母が嫁を迎えるのに、しかも一人っ子の息子に四歳年上の職業女性を嫁にすることにどれほど不安を抱えていたかがわかった。この姑には孝行させていただきたい、と心から思った。