第二章 奔走
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事件の報道から一カ月、宮神は食の安全に関する取材に力を注いでいた。その中で、とりわけ興味深いと思った概念がHACCP(Hazard Analysis Critical ControlPoint)だ。
HACCPは、一九六〇年代にNASAと民間企業が宇宙食の安全性を担保するために共同で研究した食品製造の管理方法を指す。今日の食品業界は国際化がめまぐるしく、その流通はいともたやすく国境を跨ぐようになった。そんな環境下において食品の安全性を確保するには、流通、加工、消費に関わるすべての段階で衛生面に万全を期せねばならない。
HACCPのシステムは、原材料の仕入れから最終的な製品になるまでの工程ごとに、人体へ危害をもたらす微生物や化学物質などの混入を予測し、そのプロセスを監視・記録する。そうすることで、人体への危害を未然に防ぎ、危険物質の発生要因もすみやかに追跡できるようになる。
日本でHACCPが重視されるようになったのは、一九九六年にO–157(腸管出血性大腸菌)による集団食中毒が多発してからである。食品衛生法の一部を改正し、総合衛生管理製造過程の承認制度(いわゆるマル総)が創設され、多くの専門家が食品の安全性を高めていくためには、HACCPの導入が必須であるという論陣を張った。
その第一人者が、食品衛生事業を手掛けるGOESの会長、広澤だった。広澤は全国でHACCPの公演を行い、システムの普及に貢献していた。宮神も一度だけ取材する機会を得たが、おかげでより深い知見を得ることができた。
さらに広澤の紹介で、HACCPを導入した食品工場を視察した。工場内の調理場では、加熱、冷却、殺菌などの項目を設けたシートがあり、各担当者が逐一記録をとっていた。
また、納品前の製品のチェックも入念だった。宮神は合理的なシステムに心から感心し、HACCPの制度化がなされるよう、何度も記事で訴えた。東野冷蔵の救世主となった青果輸入の専門商社、シーサイド貿易の代表にも取材した。
代表の話によると、東野の志に打たれ、全面的に商品の保管を任せたいと思ったという。この記事は読者の共感を呼び、編集部に「シーサイド貿易の野菜はどこで買えるのか」という電話が殺到した。消費者の安全に配慮した真っ当なビジネスが伸展するさまを目の当たりにした宮神は、胸に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
日々のルーチンをこなしつつ、食品問題について継続的に取材をする日々は、宮神の心にかつてない充足感をもたらしていた。時間に余裕のある日は、小学生の環境体験学習など、大好きな自然に触れられる暇ネタ取材に出向いた。
たとえば、尼崎の森中央緑地では、定期的に子どもたちを受け入れ、苗木の植え付けや育成、森における生物の観察、間伐材や木の実を使ったクラフト体験などのプログラムを実施していた。未来を担う子どもたちが自然に触れている姿を目にすると、自分たちの世代で環境を守らねばならないという思いがひときわ強くなった。
そんな折、久しぶりに清川から手紙が届いた。高校時代の親友だった清川は、京都大学医学部を卒業後、オクスフォード大学院に進学するためイギリスへと渡り、そのまま大学の付属病院に就職していた。手紙の入った封筒は分厚いものだった。宮神は内容を想像しながら、鋏で丁寧に封を切った。