ヤギェウォ大学は15世紀に建てられたコレギウム・マイウスが博物館として公開されています。1月に観光したプラハは中東欧で最初のカレル大学が14世紀に設立されたことで有名ですが、ヤギェウォ大学は1364年に中東欧で2番目に設立されました。

ちなみに、惑星の運行法則を発見したケプラーはカレル大学の教授でしたが、地動説を初めて唱えたコペルニクスはヤギェウォ大学の教授で、近年の出身者ではSF作家スタニスフ・レムやローマ教皇[1]ヨハネ・パウロ2世(在位1978年~2005年)がいます。ポーランドは16世紀ヤギェウォ家のジグムント1世(在位1506年~1548年)、ジグムント2世(在位1548年~1572年)の時代に最盛期を迎え、ヴァヴェル城に人文主義者を集め学芸を奨励しました(ガイドさんは当時ヨーロッパ最大の国と言っていましたが、人口ではともかく面積ではフランス、ドイツを凌いでいたかもしれません)。

しかし、その後選挙王政の下で王権の弱体化が進み17世紀にはバルト海帝国スウェーデンの侵略に晒され、ロシア、スウェーデン間の北方戦争(1701年~1721年)でも甚大な被害を受け、1772年から1795年の3次に亘るポーランド分割でロシア、プロイセン、オーストリアの領土に編入されました。

ヴァヴェル城はポーランド王家の王宮が置かれていたところで、1609年王宮のワルシャワ移転後も歴代のポーランド国王の戴冠式が城内の大聖堂で行われました(日本の京都のようなものです)。ポーランド独立喪失後は国民の95%を占めるカトリック・キリスト教信仰と共に、ポーランドのアクロポリスとも呼ばれ国民統合の基礎/象徴となった場所です。

クラクフはポーランド分割後オーストリア領となり、ヴァヴェル城も軍隊の駐屯地となったため荒廃しましたが1918年のポーランド独立後多くの国民の寄付により再建修復されました。王宮はルネッサンス様式で、(ポーランド分割後一部散逸しましたが)ヨーロッパ随一のタペストリーのコレクションが有名です。

その他、歴代のポーランド王、王妃、将軍の肖像画があり、また2月のドレスデンおよびベルリン紀行[2]でご案内したザクセン選帝侯、ポーランド王アウグスト1世(在位ザクセン選帝侯1694年~1733年、ポーランド王アウグスト2世1697年~1706年、1709年~1733年)の選挙の様子を描いた絵画がありました。

ヨーロッパ旅行も1年になるといろいろな関連が見えてくるようになります。旧市街に接してヤギェウォ大学を創設したカジミェシュ3世(在位1333年~1370年)が開いたユダヤ人町カジミェシュ地区があります。

映画『シンドラーのリスト』の撮影が行われたところで、第二次世界大戦後荒廃していましたが1989年の民主化後保存運動が始まり、スコットランド・エディンバラ大学の協力の下に昔の姿を取り戻しつつあります(対外援助もこういう活動にお金を使う方が友好関係向上に役に立つような気がします)。

 

[1]日本語では「ローマ法王」と表記されることも多いですが、日本のカトリック教会の中央団体であるカトリック中央協議会は「ローマ教皇」の表記を推奨しており、日本政府は2019年に「法王」から「教皇」へ呼称の変更を発表しました。

[2](4)1998年2月7・8日(土・日)ドレスデンおよびベルリン紀行(前篇)をご参照ください。