1988年7月4・5日(土・日)スコットランド夜行列車旅行記(その2)
-断崖のエディンバラ城と、ロッホ・ローモンド-
先週に引き続き7月4日、5日の週末で今度はスコットランド南部エディンバラに夜行列車利用で行ってきました。23時55分(昔日本アルプスに登った時利用した中央線最終鈍行列車と同じですね)ロンドン発の寝台列車で翌朝の6時30頃にエディンバラ着です。朝、人影もまばらな町をまず散歩。谷を挟んでの旧市街と新市街は舞台装置のような配置になっていて、町を歩いているだけでこれほど感動する町もまれではないかと思います。
土曜日9時半から、断崖絶壁の上にあるエディンバラ城を見学。美貌のメアリー・スチュアート(スコットランド女王在位1542年~1567年、エリザベス1世<在位1558年~1603年>のいとこ)で有名な城で、彼女が後のスコットランド王ジェームス6世・イングランド王ジェームズ1世(在位スコットランド王1567年~1625年、イングランド王1603年~1625年)を生んだ部屋(何人かに聞きましたが、スコットランドではジェームズではなくジェームスと発音するそうです)、スコットランド王家の宝物そして代々のスコットランド王がその上で王位就任を宣言したスコーン石が保管されている部屋があります(スコーン石は1296年エドワード1世<在位1272年~1307年>によってロンドンに持ち去られウェストミンスター寺院にある王座に組み込まれていましたが、700年後の1996年にスコットランドに返還されました)。
同時代のヴェルサイユ宮殿等の他国の宮殿/城に比べかなり寂しい質素な城で、そこがまたエディンバラの寂寥感を高めているようです。
※注1)英米法担当の大学教授さんから以下の解説がありました。「(その2)の方でちょっと気になることがあったので、早速、年齢をチェックしてみました。
というのは、メアリー・スチュアート(スコットランド女王)は、日本式にいうと、エリザベス1世のいとこではなくって、いとこの娘だからです。メアリー・スチュアー(スコットランド女王)の祖母、マーガレット・テューダーが、エリザベス1世の父ヘンリー8世(在位1509年~1547年)の姉妹(姉なのか妹なのか、英語ではsisterとしか書かないからやっかいです。ヘンリーは次男だったし。手元の歴史事典では、マーガレット・テューダーの項目まではなく、今はちょっと分かりません)なのです。日本の歴史書にもちょくちょく『いとこ』と書いてありますが、これは無理もないので、もともと英語のcousinは、父方もしくは母方で血がつながっていれば、結構な範囲まで使う言葉ですよね。
中世から初期近代(イギリスは伝統的に、テューダー王朝の始まった1485年を中世の終わりに設定しますので)には、日本でいう『身内』あるいはむしろ『組内』のようなニュアンスで、血縁ではないにもかかわらず親しい者にこう呼びかける例が多いほどです。
使い方も、kinsmen,quasi-kinsmen(親族、準親族)くらいのところかもしれません。ですから、メアリー・スチュアート(スコットランド女王)
をエリザベス1世のcousinと書くのは全然間違いではないのです。厳密には、2ndcousin(またいとこ)とかいうようですが、それは近代になって、必要がある時に使う言葉でしょう。日本でも『すじかいいとこ』とかいう言い方(いとこの子=世代図でいうと、確かに、斜めの線が走ることになりますよね)があるようですが、現在でも、cousinは『近い親戚』として、この程度は十分カバーする言葉だと思います。
で、間違うのも無理はない、というのは、エリザベス1世が1533年生まれ、メアリー・スチュアート(スコットランド女王)が1542年生まれ、ジェームス5世(在位1513年~1542年、メアリー・スチュアート<スコットランド女王>の父、マーガレット・テューダーの息子-発音の確認ありがとうございました、長年の疑問が解けました)が1512年生まれだからで、これでは、年齢的に同世代なのは、エリザベス1世とメアリー・スチュアート(スコットランド女王)ということになります。
エリザベス1世自身、父ヘンリー8世が世継ぎほしさに中年になってからじたばたして(男性を描写するときには多少筆致が意地悪くなる癖があります)生まれた次女で、長女メアリー1世とも相当年齢が開いています。ちなみに、メアリー1世は1516年生まれ、これだと、ジェームス5世といとこというのは自然ですね。」