しかし健一は、そんなことよりさっきの糞尿にまみれた赤ん坊の死体をもう一度見ながら作業するのは、絶対に嫌だと思った。想像しただけで背筋がゾッとして吐き気がした。

健一は、なんとしても断ろうと、

「糞尿の中に紛れ込んだへその緒をホースで吸引しながら探すのは無理です。知らないうちに吸い込んでしまうかもしれません」

と、いつになくキッパリとした口調で言った。しかし下条は、

「できる範囲で結構ですので、とにかく水位だけでも下げてもらえませんか。捜査のためになんとかお願いします」

と困った顔をして畳みかけるように懇願してきた。健一は、その必死さに負けて、つい、

「分かりました。やってみます」

と言ってしまった。

「シマッタ」と健一は思ったが、次の瞬間あるアイディアが浮かんだ。そして、下条に得意そうな顔をして、

「一つ名案があります」

と言ってバキュームカーの道具箱から、ステンレス製のネットを持ってきた。そして、ホースの先にこれをかぶせて、他の汚物も含めて、へその緒を吸い込まないようにして、水位だけを三分の一くらいまで下げるところまではしてもよい。しかし、残った糞尿の中からへその緒を探すのは、そちらでやってほしい旨を話した。すると一緒にいた鑑識の係官が、

「それはいい方法だ。それでお願いします」と手をたたいて言った。

そのネットというのは、建物の解体現場などの汚水槽を汲み取るときに、汚水の中に混入している解体廃材などを吸い込んで、ホースが詰まるのを防ぐために、健一が手作りしたものだった。

健一は、そのステンレス製のネットをホースの先に付けて作業を始めた。ネットを付けたことと液体だけ汲み取ればいいことになったことで、無造作にホースを突っ込んで作業するだけでよくなった。

健一はできるだけ赤ん坊の死体が見えない位置に立って、屎尿の高さが下がっていくのだけを確認していた。そして糞尿が約束の位置まで下がると、そっとホースを便槽から引き上げた。

そしたらなんとも幸運なことに、ネットにへその緒が引っかかって出てきたのだった。急いでバキュームカーの吸引ポンプのレバーを操作して吸引力を下げ、へその緒が吸いついたネットから、剥がれるようにした。

そしてホースの先を係官の方に向けて、へその緒をピンセットで回収してもらった。へその緒は、ほぼ無傷の状態だった。

これで捜査員は糞尿をこねくり回して悪臭に耐えながら、あるかどうか分からないへその緒を営々と探す必要がなくなった。捜査員たちは「やった!」とばかりに万歳して拍手をした。そして、健一に向かって、

「ありがとうございます。本当に助かりました」

と、手まで握って礼を言った。

汲み取りの作業中に、「ありがとう」とか、「助かった」とか言われることはたまにはあるが、「……ございます」「……ました」がつくことはほとんどない。ましてや、手を握られてまで感謝されるのは初めてのことだった。