その日の午後五時、オリヴァス治安警察軍司令官が記者会見を行った。

―アキノ氏は陸軍病院へ運ばれた時、すでに死亡していた。アキノ氏を撃った犯人はその場で射殺した。警備の厳重な空港になぜ犯人が入り得たかについては現在調査中だが、恐らくどこかに隠れていたのだろう。犯人の身元は未だ不明。

また、午後七時にマルコス大統領が国営放送を通じ声明を発表した。

―政府側がアキノ氏に暗殺計画の存在を伝え繰り返し帰国を見合わせるよう求めていたが、アキノ氏はそれを無視した。しかしながら、今回のような蛮行は絶対に許されることではない。我々は事件の早期解明に全力を尽くす。

その日の夜、正嗣はニノイが空港で暗殺されたというニュースをテレビで見た。更に詳しい情報が知りたかったので、上の階のカルロスの所へ飛んでいった。

「ニノイを乗せたフライトが空港に着いた後、三人の兵士が乗り込んできてニノイ一人だけを先に機外へ連れ出したらしいんだ。タラップを降りると、青いシャツを着た男がどこかからか現れ、ニノイを撃ったんだって。地上にいた警備兵は、その場で撃った犯人を射殺したとか」とテレビのニュースキャスターの話を日本語で説明してくれた。それは事件現場にいた目撃者の証言に基づいているらしい。

「本当でしょうか。何かでき過ぎた話のように思えるのですが」と正嗣はカルロスの話を聞いて抱いた疑惑をぶつけた。

「そうだね。突っ込みたくなる点がいくつかあるよね。地上で警備していたなら不審者を見逃さないだろうし、ニノイと一緒にいた兵士たちは職務怠慢じゃないかということになる。いずれにしろ加害者も被害者も亡くなってしまったんで、真相究明は難しいかも。正に、死人に口なしだね。別の証言とか証拠が出てくるのを待たないと、真実は闇の中ということだね。それにしても、最悪の結果になってしまったよ。日本では普通起こり得ないことが、フィリピンでは簡単に起こるんだよ」とカルロスは解説してくれた。

正嗣は事件の概要を掴めたが、何かどす黒い陰謀が渦巻いているように感じた。また、カルロスの最後の「フィリピンでは何でも起こり得る」という言葉が、なぜか心に深く刺さった。

ニノイが乗っていた便には世界各国の報道関係者も搭乗していた。しかし、そんなプロの目の死角をついて犯行は行われた。前の晩にカメラを回し続けて欲しいとニノイから言われていたにも拘わらず、カメラマンの誰もが決定的瞬間を撮ることができなかったのだ。追っていったカメラマンたちを遮った人の壁の先では、一体何が起こったのか。

ニノイを撃ったのは機内から彼を連行した兵士だったという少数の証言もあったが、治安警察により一切黙殺された。その場にいた多くの人が青シャツの男がニノイを撃ったと口裏を合わせたため、その方向で事件の捜査は進んだ。更に事件数日後、フィリピン政府は青シャツの男の犯行を裏付けるような再現ビデオを作り、連日テレビで流した。事件にあまり関心がない人も、そんな映像を繰り返し見せられては、それが本当のことだと思ってしまう。「嘘も一○○回つけば真実になる」という効果を狙ったものであろう。

八月三一日に行われたニノイ・アキノの葬儀はケソンシティーのサンドミンゴ教会で執り行われたが、二○○万人という大勢の市民が集まったため埋葬まで一二時間要したという。更に葬儀ミサはラジオで実況中継されたため、数百万人のフィリピン国民が聴取しニノイの死を悼んだ。これほどまでニノイは国民に慕われ愛されていたのだ。この事件が口火となり反マルコス運動の機運が高まるのだが、人々の力が一致団結するまで二年半の月日の経過を待たねばならなかった。