日曜日は朝7時からハイランド地方を西から東まで横断※注2)し、東部海岸のアバディーンまで走りました。この辺りは中世から近世にかけての城が数多く残されている地域で、キドラミー城、ドラム城、クラテス城、クレジェバー城を観光しました。
歴史的に最も重要なのはキドラミー城で、戦略上の要衝でありイングランド国王エドワード1世(在位1272年~1307年)が訪問したり、1296年から1328年までのスコットランド独立戦争の攻城戦の舞台にもなりました。皆さんは映画『ブレイブハート』をご覧になりましたか。スコットランド王ロバート・ザ・ブルース(在位1306年~1329年)の家族が篭城戦の末イングランド軍の捕虜になったのはこの城だそうで、私が見ていないと言ったらガイドさんが如何にも残念そうな顔をしていました。
エドワード1世は、最初で最後従って唯一のウェールズ人のプリンス・オブ・ウェールズであるサウェインを破りウェールズを征服した国王でスコットランド人を打ちのめした王との異名を持ち、スコットランド併合を試みた(スコットランド人から見れば)悪逆非道のイングランド王です。スコットランドが独立を回復できたのはロバート・ザ・ブルースの卓抜した政治力と軍事的才能によるもので、彼がいなかったらスコットランドもウェールズと同じような地位になっていたかも知れません。彼の娘はステュアート家に嫁ぎその息子はステュアート朝最初のスコットランド王ロバート2世(在位1371年~1390年)になり、現在のエリザベス2世(在位1952年~在位中)まで血がつながっています。
※注1)英米法担当の大学教授Iさんから「敵の敵は味方(古代インドに始まるらしく、インドの王だか兵法家だかの名前をとって、今でも、カウティリヤ・セオリーというのだそうですが)の術を使った名残が、スコットランド法だけではなく、フランス風の朝食に、今も残っているらしい様子が、とても興味深く思えました」との感想を頂きました。
※注2)家族旅行でスコットランド・ハイランド地方をドライブした通信社ロンドン特派員のEさんは私の紀行文を参考に持参したのですが「よくこれだけの行程を一泊二日で走りましたね」と感想が寄せられました。土曜日のスカイ島では最北端の岬まで夜9時過ぎまで走り回り、翌日曜日のB&Bの朝食は頼み込んで6時半にしてもらい朝7時から走り始めました。単独旅行者の便利な側面です。