ピスタンピリピーノでの買い物
「そうなんですか。知りませんでした」
「でも僕はポップス・フェルナンデスの方が好みかな」
「ポップスって、日曜の夜の歌番組の司会をやってる子ですよね。歌も結構上手いし」
「シャーロンのビデオはないけど、ノラ・オノールのビデオなら何本かあるよ」
「後で見させていただきます。タガログ語の勉強になりますか。タガログ語、なかなか覚えられなくて苦労しています」
「この国は英語が通じちゃうからね。だから、意識して真剣に覚えようとしなければものにならないだろうね」
「女の子と話したいからっていうのは、不純な動機ですか」
「いや、その結果言葉が覚えられていればいいんじゃないの。でも気をつけないと、俺の同期の坂元みたいになるからね」
「それは充分気をつけます。幾世さん、何かやり残したことはないんですか」
「そうだなぁ、今更遅いけど、もっと色んな所へ旅行しとけばよかったと後悔しているよ。この国の海の美しさは世界一だっていうからね。スキューバダイビングのライセンスでも取っておけばよかったと思うよ」
「私はまだマニラ湾とウチのバターン工場の近くの海しか見ていないですけど」
「ビサヤ地方の海はきれいだよ。休みが取れたら旅行しなよ。色んな所へ行けるのはここにいれる時だけだから」
そう言われると、前任地ではシカゴのあるイリノイ州と営業で回った三州以外にはどこへも行っていなかった。今となってはアメリカのそれら以外の場所を旅行するのは難しい。だから、フィリピンにいられる間にできるだけ色々な所へ旅行しようと思った。
「お土産とかはもう買ったんですか」
「特に買いたい物もないしなぁ。でも時間もあるし、これからピスタンピリピーノにでも一緒に行くか」
「ええ、いいですよ。行きましょう」とお供に同意した。
ピスタンピリピーノとはエルミタ地区にある広大な敷地にフィリピンの民芸品を売る店がたくさん集まった所だ。幾世には別れを惜しむ女性もいなかったようなので、正嗣が幾世の最後の午後に付き合った。ピスタンピリピーノで民芸品の店をひやかし、ペドロヒル通りの角のプールバーでビリヤードに興じ、ロビンソンというショッピングセンター内をぶらついた。
夕方寮にもどると金原が待っていた。その日の夜は一つ上の階に住むメンドーサ夫妻に独身三人組は食事に招待されていたからだ。もちろん幾世の送別パーティーである。金原も前の駐在の時、メンドーサ家にはよく入り浸っていたそうだ。正嗣もマニラへ来てから三度ほど夕食にお呼ばれされていた。
キヨミの夫でフィリピン政府観光省に勤めるカルロスは大阪の大学を卒業しており、日本語はすごく上手だ。キヨミはカルロスの大学時代の下宿先の家の娘で当時高校生だったが、いつの間にか二人には愛が芽生えていた。キヨミの両親もカルロスの真摯な人柄に好感を持ち、こいつになら娘を託してもいいと思いキヨミの卒業を待って結婚を許した。カルロスは大学卒業後、大阪のホテルで三年間働いたが、そこが系列ホテルをマニラにオープンすることになった。
そのため、日本人スタッフと新たに雇い入れるフィリピン人スタッフとの間に入って仕事ができる人材が必要になりカルロスに白羽の矢が立ち、オープニングのプロジェクトチームに加わった。これを機にカルロスはキヨミを連れマニラに生活ベースを移した。ホテルのオープン後も一○年間そこで働いたが、政府機関で働く叔父の勧めでフィリピン政府観光省へ転職した。