三の巻 龍神伝説の始まり
「姉上様……」
窓から月の光が差し込み、紗久弥姫を照らす。
ぼんやりと月を見つめていたその時、紗久弥姫は父の和清から語り聞いた話を思い出した。それは、奥宮の森に人ひとりがやっと渡れる程の細く長いかずら橋が在り、その橋を渡った先に月の沼があると……。月光が明るく降り注ぐ夜、里の守り神の龍神様が天から舞い降りられるのだと。
紗久弥姫は寝床から立ち上がり、二人の侍女を起さぬ様にそっと部屋を抜け出した。履物も履かず、無我夢中で月の沼に向かい、かずら橋へとやって来たのだ。
「このかずら橋の先に月の沼があるのね。だけど、この橋はとっても古くて今にも崩れ落ちそう……。いえ、ここで怖がっていては駄目。行かなくては!」
かずら橋に通してある渡り板と板の幅が少し広く張られてあり、下にはドウドウと川が流れていた。
このつり橋は、夜中に闇にまぎれて奥宮にそと人が潜入出来ない様、わざと拵えていたのだ。幼い紗久弥姫は怖さを必死でこらえて一歩、一歩とほんの少しの風に揺れるかずら橋を渡り、やっとのことで月の沼にたどり着いた。
この三日間、ろくに食事を取れず、あまり眠れていなかったため、足はガクガクと震え、沼のほとりに崩れる様に座り込んでしまった。
祈りの言葉を口にしようとしても、なかなか声が出ない。沼の水面には半分雲に隠されている丸い月が写り、紗久弥姫は沼に写った月に向かって心の中で語った。
「羅技姉上様は父上様と武人の仇を打つ為に、身体を傷だらけにして毎日剣の鍛練をしております。そのお姿はとても痛々しくて、何も出来ないわたくしには辛くて悲しいです。姉上様は嫁いだ先の阿修のクニが龍神守の里を攻めに来ると知り、御自害なされました。そして、一の姫で巫女の清姉上様は神殿の祭壇の下に在る扉の中に入られたその時、祭壇が崩れ落ち、安否の確認も出来ぬうちに神殿に火が放たれました。羅技姉上様が戦を止め、わたくしと共にひっそりと静かに暮して行けれる様にお願い申し上げます」
紗久弥姫は空腹と眠気に襲われそうになりながらも必死に祈った。
すると突然、沼の表面が渦を巻き出すと、白銀色の鬣が淡い青色に輝き、身体全体が青みがかった美しい龍が現れた。
「わっ! 龍神様だ!」
「余の眠りを妨げるのは誰だ?」
紗久弥姫はよろけながら立ち上がると、目の前に現れた龍にそっと両の手を差し出し、その頬に触れた。
「余の姿を見て驚かぬとは? 幼き身体なのに気丈な心を持つ人の子よ!」