フィリピンの現代史
八月二〇日付けで、正嗣に色々なことを教えてくれた幾世が退職することになった。父親が末期の胃癌で、手術をしたところ肝臓にも転移しており、余命三ヵ月の宣告を受けた。幾世の父親は横浜で小さいながらも電気店を経営しており、その店を継ぐための退職だった。後任として以前マニラに駐在経験のある金原誠が指名され、明日ペナンから飛んでくることになっている。その週に幾世は金原への仕事の引き継ぎを行い、二一日の日曜日には帰国する予定だ。
「ジョーさんはウチの幾世は知らないんでしたっけ。輸出担当のマネージャーです」
「一度だけ以前会ったと思いますけど、もう顔覚えてないなぁ。親父がよく頭がよくて如才ない人だって言っていましたけど」
「お父さんが病気のため家業を継ぐことになったんです」
「家業を継ぐってことで思い出しましたが、坂元さんと同期の人でしたよね」
「あっそうでしたね。坂元さんのことはよく知っていますよね」
「今のマサ君がやっている仕事していたからね。でも、自分の世界にこもっちゃう人だったから苦手でしたけどね。金原さんって坂元さんの前任者ですよ」
それを聞くや自分のやっている仕事をしていた人なんて、何かやりにくいなと感じた。
「あっ思い出しましたよ、金原さんが好きな店。マビニ通りにあるタワーホテルの二階にあるディスコ」
「えっ、金原さんってディスコが好きなんですか」
「『タワーディスコ』っていう店なんですけどね、ちょっと変わった所なんですよ。オタクの会長さんがオーナーですよ」
会長のヴィラヴィセンショーはマビニ通りに旅行会社を持っているとは聞いていたが、ディスコもやっているとは初耳だった。
「変わっているって、どんな所ですか」
「通称〈オカマディスコ〉って言われています。行ってみましょうか」
「いえ、結構です。そっち方面はちょっと……」
「じゃゴーゴーへ行きましょう」
まだ見ぬ金原という先輩像がどんどん変な方向へ導かれてしまった。この先のことが思いやられる。夕食後二人は『ファイヤーハウス』、『バブルズ』と二軒のゴーゴーバーへ行ったが、金原へのネガティブイメージが膨らんだのか、正嗣は気持ちよく酔えなかった。