宮市蓮台という女性
『マルト神群』の話に戻ります。私が二度目のインタビューをあなたから受けた時、あなたに告げたいことがあると言いましたが、あの席では何かと憚れました。今、この書面で明らかにしたいと思います。
それは同席していた宮市蓮台嬢のことです。彼女は日本国籍を待ちません。持てないからです。生まれたのは日本に間違いありません。彼女のことを知ったのは私がまだアメリカ合衆国で大学生として生活していた時です。
そのころの私は近代五種競技やボディビル、空手、合気道に打ち込んで将来はアメリカ国籍を取って陸軍軍人になることを夢見ていました。私の通っている大学に同じ日本人で、尽条彰という男がいました。私よりも十歳近く年上で、日本やアメリカの方々の大学を放校されて渡り歩いている変わった男でした。彼の学費はどこから出ているのか全くの謎でした。
彼とはインドのことや、映画のことで意気投合し、彼から一人の女性の話を聞きました。それが宮市晴子でした。尽条に聞いたところでは驚くべき素性でした。何せ娘から妻そして母という普通の女性の歩みをこの女性は逆に歩んだのですから。
日本人男性と、インドとのハーフの女性を父母に持ち、いきなり母となったのは十七歳の時。相手の男性はインド人でした。その男性とは出産を機に正式に夫婦となったのですが三年で離婚。一粒種も離婚の翌年に死亡。
インド国籍を取得していたので傷心のままインドに渡ります。一度は夫となった男性は全くの行方不明。探しあぐね打ちひしがれる彼女に救いの手をさし伸べたのが当時インド、西ベンガル州にいた日本僧侶とその一統でした。
当時インドに日本人の一人の仏僧がいました。その人の名は河西秀星といいます。その仏僧は不可触賎民とされてカーストの最下層に貶められていた無数の人々、ハリジャンを、ヒンドゥー教から仏教へと改宗させる一大事業を黙々とやり遂げ、そして多くの仏跡の発掘を成し遂げていました。その同志に尽条がいたのです。