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マルコス王朝
寮からさほど遠くないマビニ通り沿いに『プルメリア』という日本の漫画をたくさん置いた喫茶店がある。喫茶店といっても昼は日本風の定食ランチもやっているので、客のほとんどはマニラ駐在の日本人だ。正嗣のお気に入りの店の一軒でもある。
その日は八月の第二日曜日だったが、正嗣はちばてつやの『あした天気になあれ』の単行本を一○冊ほどテーブルに積み上げ、一人静かに漫画を読みふけっていた。最近の休みの過ごし方は、一○時頃まで寝てお昼前後の二、三時間プルメリアでぼけーっと漫画を読み漁り、その後夕方までハリソンプラザやロビンソン等のショッピングセンターをぶらつくというパターンができていた。
大盛りのナポリタンを平らげた後アイスコーヒーを飲みながら、向太陽が東太平洋オープンでバレンチノとトラビノを相手に激闘を繰り広げている場面を読んでいた。最終ホールのパー5、向のティーショットのボールはひょうたん池のくびれ部分に架かる石橋の間近に止まった。セカンドショットのスタンスがまともに取れないトラブルだ。
しかし、向はドライバーを犠牲に起死回生のミラクルショットを放ちツーオンに成功する。石橋にぶつけ跳ね返ったボールがグリーンに乗ったのだが、このようなクッションボール打ちをフィリピンではハイアライショットと呼んでいる。
ハイアライとはスカッシュのようなスポーツで、セスタという独特のグローブを装着し遠心力を利用しボールを壁に向かって投げ合う。八人または八組のプレーヤーがラウンドロビン法式で対戦し七点または九点先取すれば勝ちで、観客は勝者を予想しお金を賭ける。当時ギャンブルとして非常に人気があった。
同じ漫画を何回読んでも感動できるのは不思議だが、その名場面を読んでいる時声をかけてきた人がいた。
「晝間さんじゃないですか。こんにちは」
平瀬だった。
「あっどうも、こんにちは」
「この間はとんだ貧乏くじを引いてしまいましたね」
「いえいえ、何事も経験です。あんなことがなければ、精神科病棟なんて普通見られませんから」
「プラス思考なんですね。この店にはよく来るんですか」
「ええ、最近は毎週来ていますけど」
「ここ僕の店なんですよ。ご贔屓にしていただきありがとうございます」